ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

ENJOY KYOTO Issue22 宇治特集号をセルフレビューします 〜その5〜 「岡崎体育 少年時代からの夢を海外観光客にも届けたい」

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まさに本日ニューアルバム「XXL」をリリースした岡崎体育さんの記事です。あの昨年話題になった「MUSIC VIDEO」の冒頭のシーンのロケ場所でもある太陽が丘の同じ場所でロケ撮影をしました。これはこの取材が決まった時から決めていたことでした。
記事タイトルにある「Walking the talk」について、じつは「有言実行」という意味が込められています。これは小学生の頃すでに将来ミュージシャンになると卒業文集に書いたり、27歳までにメジャーデビューすると親に約束して、それを実現したりというところから、岡崎体育さんの人となりをぼくなりにあらわした表現でした。翻訳をやってくれているメルボルン出身でうちの長男の親友のお母さんでもあるミケラが有言実行を「Walking the talk」と表現してくれたのですが、ネイティブチェッカーである同じくメルボルン出身のリッチも絶賛していました。こういうフレーズはなかなか日本の学校で習う英語にはでてこないフレーズで、かなりしゃれた表現になっていると思います。

さて、岡崎体育さんについては、たぶん多くの人と同じでその「MUSIC VIDEO」のブレークをきっかけにその存在を知りました。話題なのでと見てみたらビデオの内容そのものよりは「あ、これ宇治やんけ」「太陽が丘!」「あすこの駐車場やん」「この堤防あそこらへんやな」「村澤医院て(笑)」ということばっかりが気になって、最初は内容がまったく頭に入ってこなかったのを覚えています。だからぼくの中ではおもしろいミュージックビデオの人というより先に「宇治の人」という印象が強く残ったのでした。

貼っときますね。


岡崎体育 『MUSIC VIDEO』Music Video


あと、自宅で仕事をしていたらうちの息子ふたりがかっちょいいラップ調の歌を歌っているので「なんやそれ?」と聞くと「ポケモンの歌」というので「へえさすがにキョービはポケモンの歌もラップかあ」くらいに思ってて、それでたまたま彼らが見ているときに一緒に見てたら「あれ?これ岡崎体育やん」と気づいて。そうなんです。なので岡崎体育さんはうちの息子らも知らずにファンだったわけでした。ちなみにうちの息子らはぼくの影響でくるり小沢健二ビートルズやといった曲をさらりと鼻歌で歌うことができます。そのなかでも、いまいちばんのお気に入りは岡崎体育さんだったわけなのでした。


【公式】アニメ「ポケットモンスター サン&ムーン」 ポケモン×岡崎体育 特別MV(フルバージョン)


そういうわけで、そもそも宇治特集をやるにあたってお茶関連は外せないとして、個人的にはそれ以外のテーマをひとつどうしても入れときたいというのがありました。というのも、自分がリアルに宇治で育った人間のひとりとして、宇治茶平等院以外の宇治をきちんと描けないかという思いがあったから。住んでいた自分だからこそ知っている宇治の顔、です。そしてそれはちょうど昨年にくるりの岸田さんがnoteの記事で書かれていたことも念頭にありました。

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それプラス、この前後にちょっとtwitterで岸田さんと宇治についてやりとりさせていただいた経緯もありました。郊外のニュータウンでとにかく坂道が多くて夕日が綺麗な街だったなあということ。小規模の鐵工所とかがあって、ゲーセンがあってヤンキーがいて。ぼくの実家ももとは木幡池のほとりにあった田んぼを壊してできたマンション。それからニュータウン開発が続々と進んでいって、周囲の田んぼは続々と空き地になり、そして空き地は住宅やマンションになった。小学校の頃は一学期に一回は転校生がやってくる感じだった。その中の石川県からやって来た女の子に恋をしたりもしたなあ(ぼくはどうも転校生に恋をするクセがあった)。青春時代を過ごした街というと聞こえはいいのですが、要するに自分が何者でもなくてどうしていいかわからなくて何もかもうまくいかなかった時代を過ごした街でもあるわけです。でもだからこそ愛おしいというのもあると思うのですね。

で、そういう感じというのは、とりわけ岡崎体育さんの「鴨川等間隔」という曲からすごく強く感じ取れるんですね(この曲は今日発売の最新アルバムに収録されてます)。


岡崎体育 - 鴨川等間隔 【MUSIC VIDEO】


ちなみにすこし脱線するとぼくにとってはそうした宇治の記憶の多くを占めるのは、ちょうど70年代の終わりから80年代半ば。ドリフ・欽ちゃんの時代からひょうきん族漫才ブームへと人気番組は移り、糸井重里さんやらYMOやらが活躍。MTVが隆盛を極めつつ、一方ではアズテックカメラとかザスミスとかキュアとかの英国ニューウェーブものも聴きながら、西海岸からはヘビメタブームも始まっていました。六地蔵にあったRECというレンタルレコード屋さんによくレコードを借りにいき、友達と5枚ずつ借りて互いに5枚×2でカセットにダビング。そうすれば5枚ぶんのお金で10枚のレコードをダビングすることができるから。そんな時代でした。島田紳助さんのハイヤングKYOTOを毎週土曜日深夜に聴いてた。懐かしいなあ。

ともかく、そういう幾つかの伏線もあって、それでどうしてもここは岡崎体育さんをこの宇治特集の中に入れないわけにはいかないだろうと、これはもうどんどん自分の中でそういう方向になっていったんです。はじめはいろいろ人づてにコネクションを探っていたのですが、最後は正攻法でウェブサイトからメールで企画書を書いてお送りしたところ、マネージャーの松下さんから快諾のお返事いただき、さすがにその時はかなりテンションが上がりました。その後も松下さんにはいろいろとお世話になり忙しいスケジュールの合間を縫って様々なご協力をいただきました。この場を借りてお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。

で、ようやくたどり着いたインタビュー当日は、まさかの雨。しかも土砂降り。ご本人も「撮影の日に限って雨や曇りが多い」とおっしゃってましたが、ぼくもドがつく雨男。そこで思いついて、当日の朝に伏見のコーナンで黄色の傘を買って撮影にのぞむことにしました。この黄色い傘は実は児童用のものなんですが、結果的にこれがけっこうハマったというか見栄えとして可愛くなって良かったなあと。思惑通りにいってよかったです。

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これがそのとき撮影で使った傘。いまは長男が使っています。


そういえばこのメイン写真の撮影がひとまず終わり、さあ移動しようとしたところで収録されたのがこの告知映像でした。これじつはこのすぐ横にぼく、います(笑)。そうそう、この時はまだ桜咲いていましたね。太陽が丘の桜はけっこう綺麗なんです。お弁当ひろげてお花見ピクニックにうってつけの場所ですよ。


ほんとはそのままそのへんでお話聞きながらトークシーンの撮影もやろうと思っていたのですが、さすがに大雨で不可能。というわけで急遽、通円さんにお願いして、同じ宇治特集号でも紹介させていただいてる宇治橋のたもとのお茶屋さんの通圓にて、抹茶ミルクなんかをみんなで飲みながらお話を伺いました。

インタビューで伺ったお話のなかで個人的に興味深かったのは「宇治という街の印象」という質問への回答が「匂い」だったこと。「川の水と草と太陽の匂い」。この匂いによって宇治に帰ってきたと実感する、とおっしゃってました。そう言われてみて、自分も確かにその感じはわかるなあという気がしたんですね。こういう答えが返ってくるとは予想してなかったので、ちょっとはじめ驚いたのですけど、すごく納得するものがありました。
ぼくが住んでいた木幡は宇治橋のあるあたりより2,3km北部になり、川からも離れているのであまり実感がなかったのですが、たしかに宇治橋のあたりは独特の苔むしたムッとする匂いがしているような気がします。山が近くてしかも覆いかぶさるように両側から宇治川を囲む形で連なっているため、水の匂いや「草いきれ」のようなものがこもるのかもしれません。上流には天ケ瀬ダムがあり、そこから放流されるとかなりの水量が流れてきます。ダムの放流の際にはたしかにぼくの住んでた地域の近く、隠元橋の付近でも「現在放流中です」とスピーカーから流れていて注意喚起していましたね。そのくらい宇治川って水の量が多く流れも強いんです。
だから水や草の匂いというのはたしかに強く感じます。それに、この号に登場する多くの人のお話に共通するものがあるとしたら「宇治川こそが宇治のアイデンティティ」ということだったので、岡崎体育さんのその「川の匂い」というのはとても説得力があったのです。

話はまたまた少し脱線するのですが、そういえばそもそもこの宇治のあたりには巨椋池という巨大な池がありました。さらに宇治川豊臣秀吉が堤防工事して治水するまでは氾濫しまくりの危険な川だったんですよね。「太閤堤」とか呼ばれてたっけな。このへんはたしか小学校の社会の授業の郷土史学習のなかで習った。槙島とか向島っていうのは「島」だったんですよ。それからわが母校である岡屋小学校の近くには岡屋津と呼ばれる港があったそうです。だから源氏物語読んだ時になぜ平安京から宇治へ向かう一行が木幡山(たぶんいまの御蔵山あたり)を越えなければいけないのか、ルート的によくわからなかったのですが、よく考えれば当時、京都市内からまっすぐ降りたところは巨大な巨椋池と荒ぶる宇治川が行く手を阻んでいたため、東側の山科から木幡を回って行かないと陸路で宇治に入ることはできなかったんですねきっと。そういうことからも宇治が「水の土地」ということはいえるんです。

話を戻しましょう。

もう一つ印象に残ったエピソード。それはタイトルのところでもちらっと書きましたが(ファンの方の間ではもしかしたら既に有名なことだったのかもしれないんですけど)ぼくはこのインタビューをするまで岡崎体育さんがかつて小学校の卒業文集で「音楽家になって世界中の人に自分の音楽を聞いてもらいたい」と書いたというエピソードはじつは知らなかったんですね。だから取材でそれを聞いてすごく驚きました。そして英字メディアの取材はこれまで受けたことがなかったという話も伺い、本当に、本当に、このENJOY KYOTOの取材はうってつけの機会なんだということに、ある種の責任感を感じるとともに、記事を見た外国人の人たちがそれをきっかけにYoutubeでミュージックビデオを見たり、CDを買って帰ってくれたりしてくれたらなあと、それは取材を決めた時よりもさらに強く思ったのでした。残念ながら校了した直後にニューアルバムの発売の情報が公開されたのでその最新情報を掲載することはできませんでした。なのでまさに今日発売の「XXL」の告知は紙面で間に合わなかったのですけど、Facebookのほうで掲載しています。

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そういえば、くるりつじあやのさん、10FEETなどを取材した京都音楽特集号を3年ほど前に作った時も「音楽土産」という言葉を使っていました。ぼく自身、新婚旅行でイタリアに行ったときにホテルで見た地元のバンドのCDを探しにCDショップに行ったり(結局売ってなかった)、イタリアのジャズを聴くとローマやフィレンツェの街並みが目に浮かんできたり、という経験があったので、京都のバンドの音楽はきっとその人の京都の思い出と結びつくだろうと考えたからです。

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だから今回も、もしかしたらENJOY KYOTOを読んだ外国からの観光客が、岡崎体育さんの音楽をiTunesなどでダウンロードしたり、CDを買って帰ったりしてくれているかもしれません。数はきっとそれほど多くはないのだろうけど、でももし一人でもそんな人がいてくれたら、ぼく自身もすごくうれしいことだなあと思うのです。
これは本当に偽らざる本心で、だからこそぼくは今回のENJOY KYOTOにおける記事を、こう締めくくっています。その文章をもってこのブログのエントリーも締めたいと思います。

「この記事を読んだすべての外国からのゲストに伝えたいのは、ぜひいちど彼の音楽を聞いてみてほしいということ。YouTubeの公式チャンネルにもたくさんのビデオがアップされている。そこで、文字通り宇治という街のそれも彼の自宅で作られた音が奏でられ、彼にしか表現できないジャンルの音楽に遭遇することだろう。そしてもし気に入ってもらえたら、宇治の旅の「音楽土産」として購入してみてほしいのだ。なぜなら遥か遠く海外からやってきたあなたがこの紙面を見て岡崎体育という音楽家の音楽を耳にした瞬間こそ、彼が遥か昔に思い描いた「世界中の人に音楽を届ける」という夢を叶える瞬間でもあるのだから」。

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