ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

風情の正体


「芝浜」 -- 七代目(自称五代目)立川談志(2001年版)


大晦日ということで、もう日本酒を呑みながら「芝浜」を見ています。まあいろいろ意見はあるでしょうが、ぼくは立川談志さんのこの2001年のよみうりホールのやつが好きです。上手いということでいえば、もっと上手な噺家がいると思いますけど、談志の芝浜は、真に迫っているというか「ダメな旦那を上手に操る賢い女房」という分かりやすい構図を捨ててしまって、女もめっぽう弱い人間として描かれる。ダメな男とダメな女。「まあそういうわけだからさ、なんだかわからないけど、まあうまくやってこうや」みたいな。これこそ談志の落語の真骨頂というか、談志曰くの「業の肯定」であり、「人間はダメなものであるということの肯定」だとぼくは思っています。

で、この談志さんと手塚治虫さんのいつだかの対談で(たぶん80年代ごろ)当時、落語が若い女性に人気があるらしいという話題の中で、手塚さんがさらっと「でも若い人にとっては落語はナウいになっちゃうのよね」と言うんです。ああ、これはすごいなあとね、思いました。この人は本当にすごい人なんだなあと。この時点ですでにいまの伝統文化が抱えている問題点の本質をひと言でズバッと言ってのけてしまっているなあと思うわけです。

そもそも考えてみればやれ伝統文化だ、しきたりだなんて言いますけれど、去年のENJOY KYOTOの新年号で紹介したとおり、初詣だって庶民の習慣として本格的に広まったのは交通が発達してからで電鉄会社の乗車促進施策だったという話もありますし、おせち料理だって起源そのものはかなり古くからあったとはいえ、本当に庶民に広まったのは江戸末期のことであり、いまの形に近いおせちになったのは戦後のことだともいいます。もちろんだからといって、なにも伝統なんてものは守らんでいいというわけではないし、伝統文化はつねに時代に合わせてアップデートしてきたことで、流行の淘汰から生き残ってきたということは百も承知なわけです。京都にいるとそういうことがよく分かります。

ただ、いま京都に起きているさまざまな「伝統文化の再発見」とか「リブランディング」とか「伝統とデザインの出会い」みたいなものは、それこそ手塚治虫さんのいう「ナウいになっちゃってる」になっちゃってるんじゃないかと、そろそろ振り返って考えるときに来ているような気がしています。じつはENJOY KYOTOをやっていて、そのことをずっと感じていました。ENJOY KYOTOで紹介した伝統と現代生活を融合したチャレンジをしている職人さんやアーティストの人たちも、そこを苦心しながら製作されているということは、ひしひしと伝わるわけです。みんな手塚治虫さんのようにうまく言語化できないだけで、実際にそこに身を置く者であれば、おそらくそのことは自ずと問い詰めてゆくことになるからです。

では「伝統の正しい継承」と「ナウいに堕してしまうもの」の境界線がいったいどこにあるのか?もちろんそんなことは、このぼくにすぐわかるものではありません。ただそのヒントのひとつが「風情」なんだろうと思っています。風情を字引で引きますと

1 風流・風雅の趣・味わい。情緒。「風情のある庭」
2 けはい。ようす。ありさま。「どことなく哀れな風情」
3 能楽で、所作。しぐさ。
4 身だしなみ。

とあります。

では、またしても辞書で引いでみます。こんどは英訳辞典です。

風情=taste

さて、どうでしょうか?Japanese tasteで果たしてこの風情という言葉が持つ風情を正しく伝えられるんでしょうか?「風情」はとっても翻訳しづらいもののひとつです。なぜならここでいう風情はそのまま「日本らしい風情」のことだからです。「風情的」なるものはおそらく西洋にも中東にも南米にもあります。それは旅情だったり郷愁だったり。nostalgiaでありtraditionでありethnicでありemotionでありatmosphereでありmoodでもある。でも日本語でいう風情は、それぞれひとつの単語では表せない情緒のことです。

で、おそらくぼくが感じている違和感は、いま京の風情が、単なる「Kyoto Taste」になってしまっているのではないか、ということです。たしかに伝統文化を意識した取り組みがいろんなところで繰り広げられ、建築にしろ工芸にしろデザインにしろ表面的には伝統を継承しているかのように見えます。
でも本来「風情」として訳されるべき言葉は決してひとつの単語でありえないのと同じように、どこか安易というか「風情ってtasteのことでしょう?」とでも言いたげなイージーな翻訳のような空気が広がっているようにも感じています。
ただし、それは決して「本物主義」ということでもないんです。うまく言えないのだけど、安物の素材を使っているものは偽物だからダメだということでもないんじゃないかなと思います。

わかりやすくいうと、ずっと前から思っているのですが、お正月に聴きたい音楽がないなと思うことです。もちろん雅楽(なぜかCDを持っている)とかお琴の「テン、テケテケテケテン」みたいなのはお正月風情を感じる音楽にちがいないわけですが、はたして好んでアルバム一枚を聴き通す気になるかといえばそういう人は少ないだろうと。少なくともぼくにはBGM的な聞きかた以外、いまのところできそうもありません。かといってウィーンフィルニューイヤーコンサートのCDはどうかというと、たしかに年初の好例としての新年感はありますが、お正月の風情とはまったく異なるものです。そこでずっと以前のことなのですが、いちどいろいろ家のレコードやCDを片っ端から試してみて、たどり着いたのがフェイ・ウォンでした。もちろんぴったりとまではいかないにしても、どこかしっくりくる感じがしました。キリッと寒いお正月のお昼間に、日本酒呑みながらボーッと聞くとしたら、このへんがいいなあ、と。そしてこういうポップスがいまの日本にはあるかなと見渡してみて、残念ながらないなあと思うわけなのですが、このエピソードは風情の話として理解しやすいのではないかなと思います(しにくいか...)。


【我願意 】王菲


ちょっと余談を挟みましたが、じゃあつまり「風情の正体」とはなんなのか?いまのところ答えはありませんが、ぼくはつまるところ言葉の問題だというふうに捉えています。たとえばいまの若い人は落語に出てくる言葉はおろか、もう夏目漱石の小説でさえも、ほとんど現代語訳なしでは理解できないのではないかということ。風情の問題は言葉の問題に集約されていると、物書きであるぼくはうすうす感じています。そしてそれは翻訳も含めての問題です。風景も音楽も匂いも味も、そのものの魅力とは別に、基本的には言語に集約されることで人は文化として受け取っている。なんとなくSNSや映像メディアの隆盛で、文芸批評や評論はじめ言葉の力は衰退していますが、ぼくは来年以降、そうした言語のメディア(ブログやなんかとは違うもの)が再び力を取り戻すのではないか(東浩紀さんの「ゲンロン0」や小沢健二さんの復活などはその予兆?)なーんてことを考えています。とまあこれもまたぼくの大好きな余談の類。

ともあれ、これは2018年の宿題として書き留めておくためのエントリです。何か披露する結論などはありません。ただ、来年の仕事は風情の正体を探すことになるでしょうし、振り返ってみればENJOY KYOTOを通じてずっとやってきたことも、じつはそれだったような気もしています。年々、年の瀬やお正月の風情は、街から失われていますが、それは決して街並みや見た目のせいだけではなく、言葉の問題であり、すなわちアイデンティティーの問題なんだろうと思います。明日すなわち元旦である、2018年1月1日に配布が始まる新年号でも、そうした課題を感じながら編集しました。テーマもそうした課題を反映したものになっています。それはまた来年のお楽しみに。ではみなさん、よいお年を。