ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

ウクライナで民間機が撃墜され、イスラエルがガザに地上侵攻した日に、観光の役割について考えてみました。

「紛争」と「観光」はたぶん正反対の概念です。紛争は、異国や異人種、異文化や異教を敵視し、排除しようとすることで起こります。いっぽうで観光は異国や異人種、異文化や異教をリスペクトし、近づこうとする行為だからです。
先日、ENJOY KYOTOの取材で出会った女性はイスラエルの著述家でした。撮影モデルを手伝ってくれた男性はサウジ出身。他にも豪州、英国、フランス、南アフリカ、韓国、モンゴル、いろんな国の人が、いろんなかたちで製作に関わってくれています。そして彼らは「日本文化へのリスペクト」という共通項でひとつになれるんです。
異国・異文化における「違い」「驚き」「発見」というのは観光「産業」としては重要なファクターなんだけど、ぼくは殊更に差異を強調するのではなく、むしろその差異の中から共通点を見出すことにむしろ価値を置いて記事を書いています。たとえば、代々家業の提灯職人親子から見える、その国固有の文化の継承の難しさと大切さ、という近代化していくうえでどの国にも見られる共通課題です。
そこには「グローバル化」というのは、世界がひとつの価値観で統一されることではなく、各国や地域固有の文化や産業が、むしろその違いによって共通の美点や課題を見出し、互いにリスペクトしながらユナイトしていくことであるべきだ、というぼくなりの信念があるからなんです。
そもそも、朝起きて、食べて、笑って、泣いて、歌って、夜眠る。市民の生活自体は、そんなに大きく変わらないのだから、宗教や文化や哲学に対立があっても、市民一人一人の喜びは、きっと分かち合えるはずだとぼくは愚直に思っています。
他者や他文化へのリスペクトを持つことが平和の近道になるとしたら、外国人向け観光メディアを通じて何かできないか。もちろん無謀な問いであるし、結論や明確な答えなんて出ないけど、それでもとにかく考え続けることが大事なんだといまは思います。
以上が、ウクライナで民間機が撃墜され、イスラエルガザ地区に侵攻した日に、メディアを持つ人間のはしくれとして、外国人観光の現場でものを考える人間のはしくれとして、世界の隅っこで自分なりに考えてみたことでした。誰かを非難するより、自分に何ができるかを考えることの方が、大事なんじゃないかな。おわり。

ENJOY KYOTO 「いいね!」の数が1000を超えました。

いよいよというか、ついにというか、ENJOY KYOTOのフェイスブックページ(ENJOY KYOTO | Facebook)に対する「Like!」いわゆる「いいね!」の数がおかげさまで1000を超えました。「Like!」を押してくれる人のタイプにも変化が見られ、最近では明らかにわれわれ編集スタッフの友人の友人みたいな人ではない、純粋に外国人観光客の「読者」と思われる方々からの「いいね!」が増えてきています。また、最新号紙面に載せた小嶋商店さんのワークショップへの参加申込みのリアクションなどを見ても、メディアとしての浸透度や手ごたえを実感しています。

ちょっとここらで堅い話をしますと、ぼくはグローバルというのは世界の価値観が均一になることではなく、むしろ各国や民族、宗教や慣習といった「ローカル」が「共存」するかたちで「ユナイト」すること、それこそがほんとうのグローバルだと思っているところがあるので、世界に向けて日本というローカルカルチャーをわかりやすく発信するにあって京都ほどふさわしい街はないと、それがENJOY KYOTOの意義のひとつでもあります。

それで今回、たとえば小嶋商店の特集では「父と息子=師と弟子」ということをひとつのテーマに書きました。これはたとえば日本の伝統文化の継承という、まあ言ってしまえばありていというかわかりやすい内容を語りながら、同時にたとえばイタリアの靴職人や鞄職人であったり、ドイツの時計職人だったり、こういうことというのは世界のどこでも起こっていて、とくに中国や東南アジア、中東やアフリカ諸国など、いままさに近代化を推し進めている国にとっては、リアルタイムで直面している危機なわけですね。そういう世界が近代化していく中でどの国や民族でも経験し直面する文化の衰退、もっと身近に言えば家業というものの消失が、通底するテーマにもなっていたりします。

で、ぼくに言わせれば実はこれこそがまさにグローバルなテーマであるので、おそらく共感してもらいやすいだろうという狙いがあったわけです。また単に日本文化を記事にしてそれを英語に移し替えるのではなく、市民の生活や文化の持つ世界共通の哲学そのものを移し替えていく作業を僕なりにしているつもりであって、今回の記事はその作業のひとつの成果だと自負しています。

さて、いまやっているフリーペーパーの編集はもちろんいちばん大事な、いわば基幹事業であってこれが母体であることは今後も変わりありません。ただ、ENJOY KYOTOというプラットフォームを使ってできることはまだまだたくさんあって、その「たくさんある」ということがそのまま、京都の観光における課題なのだろうとも思っていますし、取り組むべき課題があるというのは基本的に良いことだと思っているところです。
だから大変であると同時に楽しみでもあるわけでして、ただそれらは自分たちだけでできることではなく、いろんな人やチームとコラボしながら今後つくっていくプロジェクトになっていくことだろうと思います。

というわけで、これまでお世話になった方やご贔屓いただいた皆さんはもちろん、個々にそれぞれの方法で京都の観光に携わってがんばっている人たちとも一緒になって、今まで以上に京都を楽しめるメディアやサービスを作っていこうと思っています。どうか、これからも、よろしくお願いします。

遠くまで旅を続ける人たちへ 小沢健二のいいとも出演について

小沢健二が出演した「笑っていいとも!」を見ました。王子様キャラ以降の彼しか知らない人は小沢健二を「人畜無害みたいのお坊ちゃん」みたいに言う人がいるけど、かつてフリッパーズ・ギター時代の彼はARBとか矢沢永吉とかユニコーンとかムーンライダースなんかを雑誌上で実名上げてディスって各バンドのファンに非難されてたんですよね。それに取材に遅刻するわ、インタビュアー女子をマジ泣きさせるわ、見た目と違って当時いちばん生意気でパンクな存在だった。そこがけっこう好きだったんです。
見た目カラフルだけど中身は毒、みたいな。合成着色料だらけのジュースみたいなたとえを当時されていましたね。大晦日のレコード大賞で司会の和田アキコに「フリッパーズギターのドラムです」とか答えたり、そういう生放送向きじゃない危うさがあったんです。

ソロになってからの小沢健二は、そこからもうすこし大人になっていました。デビューアルバムの「犬は吠えるがキャラバンは進む」では、かなりそぎ落としたソリッドな音と「ぼけたモノクロテレビじゃなくてハイビジョンでくっきり描いてるから」と自ら評した精密な歌詞が、明らかにフリッパーズというイノセンスからの卒業を感じさせる、大人のアーバンロックに仕上がっていました。
それからほんの1年の後に突然「LIFE」を発表し、「オザケン」「王子様」に変身します。これは彼らしいラディカルさの表現法というか、なんせイギリスのインディーズロックマニアのひねくれた青年が「みんなのオザケン(世を忍ぶ仮の姿)」として紅白とかお茶の間に出てる、ということのラディカルさだったと思うんです。ほとんど伝わってないけどね(笑)。

ぼくはこの劇的な変化を、東大在学中に書いた「喪失」で文学賞を受賞したものの断筆し、約10年後に突然軽快で洒脱な文体による「薫クン四部作」シリーズを発表した庄司薫の変貌と重ねていました。
「愛とは」「死とは」「人生とは」という文学的なテーマを、文学的な言葉と心理描写で語るのではなく、ありふれた日常の風景描写と若者の恋模様のなかに落とし込んでいく、という点で小沢健二の変化と、庄司薫の変化は似通っていました。ふたりとも東京育ちのお坊ちゃんで東大卒で、シュッとした男前というところも同じですね。

さて、前置きが長くなったんですが、こうしていろんな変化を彼自身経験して、日本を出て、海外に住んで、外国人と結婚して、父親にもなって。16年という時間は彼にとっても、それなりに長い旅だったと思うんです。
だから2014-03-20 - 逆エビ日記Ver3.0というような、「旅に出られなかったタモリへのメッセージ」という読み方もあって、それはそれで「なるほどなあ」と思いっきり首を縦にして頷いちゃうんですけど、それでもぼくの印象はほんの少しだけ違っていたわけです。

ぼくは思うのですけど、彼はおそらく、「いいとも」という長く続いた番組それ自体も、ひとつの「旅」ととらえていて、それでその長い長い旅がひとまず終わることについて、その司会者であり、自らの歌詞に関しての理解者であるタモリさんに向けて、ごく個人的に歌を贈りたかった。そんな感じを受け取りました。実際、約束事も、テレビらしいやりとりも一切なく、ただリスペクトしあっている者同士だけが持つ、ことばの少ないコミュニケーションがそこにはたしかにありました。
事前に聞いた話ではナタリーの大山卓也さんがこの小沢健二のいいとも出演に際してのブッキングをしていたという話もあり、「歌ってもいいなら出る意味があるかも」ということを小沢健二本人が言っていたそうなので、やはり彼はなにより歌でタモリさんとスタッフに向けて「お疲れさまでした」を言いたかったのだろう、と。

また、ぼくはそれだけではなくって。日本を出て長い旅をしてこれからまた旅を続ける小沢健二から、ひとまず長い旅を終えるタモリに贈ったいくつかの歌は、当然そのテーマに合う楽曲が周到に選ばれていましたし、それは小沢健二タモリのふたりのことだけじゃなく、ずっと彼の歌を聞き続けてくれた人たち、いまでもコンサートに足を運んでくれる人たちみんなが歩んできたこの16年間にわたる長い旅への賛歌でもあったように、ぼくには聞こえました。

ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手を振ってはしばし別れる

この歌詞が示すように、この別れは「しばし」であって、いずれまたどこかで、なんらかのかたちで交わることはきっとあるだろうし、みんなその日まで、どうか元気で楽しく、それぞれの旅を生きよう!そんなメッセージだったようにぼくには思えました。
そしてなにより、彼の歌う歌が、きちんと「45歳のドアノック」になっていたことがほんとうに素晴らしかったです。



小沢健二 ぼくらが旅に出る理由 - YouTube

ENJOY KYOTOオリジナル和菓子をつくっていただいた青洋さんに行ってきました。

ENJOY KYOTO最新号の和菓子特集のなかでENJOY KYOTOオリジナルの桜の和菓子の作成にご協力いただいた青山洋子さんの和菓子店「青洋」さんへ伺ってきました。
やっぱりこうして自分たちが制作に関わったものが実際に店頭に並んで販売されているのを見るとウキウキしてきますね。早速、地元の方や常連のお客さまが購入されていかれたようでまずはひと安心。「これいらんわ」とか言われたらどうしようかと心配だったもので。まだ外国人の方はこられてないようですが、どうだろうな。来てくれるといいんだけど。

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青山さんのお店も紹介されているENJOY KYOTOの最新号を、お店に置かせてもらったのですが、じつは青山さんは今号の表紙・巻頭特集で紹介しているだるま商店さんともお友達だそうで、いま木屋町醸造庭で開かれているだるま商店さんの個展のフライヤーも置いてあって、なかなかのコラボ感です。つながっていますね、ほんといろいろ。

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せっかくなのでわれらがオリジナル「花日和 Sakura Sky」だけでなく、3月のお菓子をいくつか買って帰りました。もちろんどれも美味しいのですが、やっぱりオリジナルの「花日和」、美味しいんですよ。というか、これだけこし餡にチョコが入っているので、他のと続けて食べると存在感が際立っていますね。「外国人の方はあんこが苦手な人が多い」というリサーチがあったので、チョコを混ぜていただいたのですが(もしかしたら日本人の和菓子好きの方にはどうかな、という感じはあるにはありますが)ぼくはコレ、すごく好きです。

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このオリジナル和菓子の制作は今年の1月の終わりころから企画が始まって、それでいろいろイメージをお伝えしてつくっていただいて、それで編集メンバーみんなで味見させていただいて決めました。名前はぼくが付けました。桜のピンクと空の青がモチーフになっているのですが、ピンクが桜なのはすぐわかるので、「空」という言葉をいかにつかわずに青の部分を表現するかがポイントでした。青い春で「青春」なんて案もあったのですが、やっぱりこう桜が咲いててうららかな鴨川と北山の空みたいなイメージがパッと浮かんで。それで「ああ、お花見日和だ」と思ったんですね。「A perfect day for Sakura」みたいな感じで。それでそのイメージをネイティブのリッチに伝えたら彼が「Sakura Sky」っていう見事な英語名をつけてくれて、もうこれで決まり!という感じでした。ほんとにいいコラボになったし、楽しい仕事ができたなあと思います。ほんとうは外国人観光客の人にこそ食べてほしいんだけど、今回限りのお菓子なので、みなさんもぜひ味わってみてください。

「花日和 Sakura sky」のお取り扱いは、今日からの3日間と、来月4月25日~27日までの3日間のみ、時間は午前11時~午後6時までです。

■和菓子店 青洋 http://wagasiseiyou.petit.cc/banana/
京都市北区紫竹西野山町54-1 (堀川北山の交差点を左折し、ずっと西へ。「紫野泉堂町」の交差点を右折、100mほど北へ上がります。美容室花さんの北隣です)

こころの中でひっそりと半旗を掲げること ~2011.3.11から3年経って~

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3年前の震災が教えてくれたのは、目の前の人たちと過ごすありふれた日常がいかに大切なものかということでした。だからぼくはいわゆる3.11が「その日」だからといって、これまでも特別なことはしてこなかったし、ただただ家族と楽しく過ごすこと、そうしてそのことについてちょっとだけ意識的になること、そういう風に位置付けてきました。

震災のこともそうだし、原発も、知事選とかも、なんでもそうだけど、「声高に語られる言説は話半分で聞く」というのがぼくのずっと変わらないスタンスです。
祈りは、心の中で、小さな声で、きわめて個人的に捧げるものでありたい。それはちょうど、家の近所で見つけた、これからの未来をつくる子どもたちが過ごしている幼稚園でひっそりと掲げられた半旗のように、です。

戦争もそうだったし、震災もそう。「遠くのどこかでたくさんの誰かが死んだ」ということではなく、身近な人を失ってしまった人の悲しみが「個別に」「たくさん」あるということ。それを一人一人が受け止めるのはとてもしんどいことだし、事実のあまりの大きさに途方に暮れてしまうというか、そんなこと本当にははじめから出来っこない。

だから、ぼくを含めて幸運にも身の上にその不幸がたまたま起きなかった人ができることは、大切な人を失うその悲しみを知ったうえで、目の前にいる愛する人のことを、彼らと過ごすありふれた日常を楽しく生きることを、あらためて大切に思うこと。3.11がそういう日になればいいんじゃないかなあと思うんです。

「編集者の時代」はほんとうか

もともとぼくは夜は9時か10時には眠っているので番組そのもの(NHK 新世代が解く!ニッポンのジレンマ | 過去の放送)は見ていないのですが、たまたまこの記事の「編集者の時代」という言葉を聞いて思い出すことがあり、自分がつねづね考えていたことと重なったのでメモとして書いておきます。

ネット化で「編集者」の黄金時代がやってくる | オリジナル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

まず、ぼくがコピーライターという仕事をはじめたのはバブルが崩壊して不景気だといわれはじめて5年ほどたったころで、不況が定着してきたというか、なんとなく時代が新しいパラダイムに入ったなあということが世の中にも認知され始めたころでした。それはまさにちょうどネットが家庭に普及し始めたころとも重なっていました。そんなこともあってか、その頃から「これからは専門家の時代」とかっていわれ始めてたんです。「ハウスエージェンシーは専門に特化してるから不況にも強いよね」という業界構造的な話や「わかりやすいウリがないとこれからはやってけない」というブランディングとかセルフプロデュース的な文脈なんかでも語られました。いまでもライターです、というと「どっち方面強いですか?」みたいなこと言われます。でも、ないんですよ。これが。見事に。

もうすこしぼく自身の話が続きます。ぼくは大阪の制作会社にいたころ、「どんな仕事でもできないと一人前ではないし、会社がつぶれても物書きとして食いっぱぐれないためにもなんでもやれ」という社長の方針もあって、NTTから全携帯電話会社、教育、医療、ファッション、下着メーカー、お茶の通販、生命保険、銀行、電気メーカー、官公庁にいたるまでさまざまな分野のクライアントを担当してきましたし、広告の規模も全国キャンペーンの広告コンセプトからSP企画コンテンツ企画、店舗のチラシやPOPとか、ラジオCMの原稿から学校案内や会社案内などの編集物、イベント告知にいたるまで、広告・宣伝と名のつくものならありとあらゆる媒体でコピーや販促企画を考えてきました。おかげで、どんな分野のどんな仕事が来ても、さらには未知の分野の道の仕事であっても「まあ最後はなんとかなるだろう」という自信が持てるようになりました。もちろんこの分野ならだれにも負けないという自信も強みではあると思います。それはそれで成り立ち方として間違いではない。でもだからといって、「全部そこそこ」が間違いだともいえないし、こういう成り立ちかただってあるはずだとずっと思ってやってきました。だからぼくは当時から、いわゆるこの「これからは専門家の時代」的な視点にはなはだ疑問を感じていました。すくなくともメディアにおいては、むしろ不足しているのは「スペシャリスト」ではなく「ジェネラリスト」のほうだ、という感覚がずっとあったからです。

そしてそれは、ほんとうに多岐にわたる業種の企業担当者の方々と仕事をしてきたからこそ、感じられたことでもありました。皆さんそれぞれに優秀な方ばかりで、誰もが一所懸命に自分の会社やプロジェクトの成功のために、考えを尽くし、力を注いでおられます。でもやっぱりいまの日本企業の組織が、どうしても縦割りになっていてそこから抜け出せていない。そしてこの「縦割り的発想」と、いわゆるいまの情報入手手段の変化(たとえばアマゾンはとっても便利ではあるけれど「欲しい本」しか買えません。知らない本はこの世に存在しないというのがいまの情報のあり方です)との親和性が見事に高いため、どんどん持ち場のこと、手の届く世界のことしか、関心がない人が増えているんじゃないかなあという気がしていたんです。だから「横串」で物事を考えないといけないというときに、ものすごく苦労する。いちいち全体ミーティングを開いて、そこでも各自の意見がバラバラでまとめる人がいない、まとめる能力のある人がいない。という場面にでくわすことが、以前より多くなってきたという印象はずっとあったんです。

だから、基本的にはこの記事には肯定的な意見を持っていますし、ほとんどの点で同意します。ただ結論的に言えば「編集者の時代」というのは、べつに「これから」とか「いまだから」ということではなく、メディアとしては本来的に持っていなければいけない特性だと、ぼくはいまでも思っています。だからあらためて「これからは編集者の時代だ!とかって声高に宣言するような類のことではないんじゃないか?」というのがぼくの回答になります。かつて「専門家の時代だ!」とか声高に言ってたのが時代を経てトレンドが変わっただけなのかなあと。ぼくは、あるいはほとんどのクリエーターはそんなことに関係なく、自分の仕事場と環境をきちんと引き受けて仕事をしているし、そこからしか本当の仕事はうまれません。「これからは」みたいな物言いはだいたい眉に唾漬けて聞いといたほうがいいと思いますね。

ただ、ぼく自身じつは一昨年前に会社を辞めて、いわゆる受注メインのコピーライターという仕事から、もうすこしフリーな立場で企画や媒体に携わり、下請けのライターとしてでなく、自分から発信する立場として、自分の視点や編集力を直接問われるような仕事場を持つようになりました。ちょうどそんなタイミングで始まったENJOY KYOTOという外国人観光客向けの英語フリーペーパーでは、いままさに編集長的な立場にあって、コンテンツ企画や編集会議、あるいは今回3月に発刊される第4号では、和菓子店の「青洋」の青山洋子さんとのコラボレーションで、ENJOY KYOTOオリジナル和菓子の商品開発まで共同でやらしていただいています。情報をきちんと発信するには、情報の取捨選択だけやってたらいい時代はもう終わっていて、その届け方やデザイン、情報を発信したい人と受け取り手のマッチング、もっといえば商品開発までもいっしょにやっていく必要がある。こういうのってやっぱり「目利きの時代」であるという風にはいえるのかもしれないですね。

「自ら商品開発に関わって、その商品を広告する」

たぶんコピーライターをやってた人、あるいはやっている人にとっては、まさにいちばんやってみたかったことではないのかなあ。それをいま自分がやれている。これはほんとうに楽しい限りです。ああ、自分が一番やりたかったことであり、自分の能力がいちばん活きる仕事場がここにある。そう実感できています。あんまり早くに「オレはコレだ!」と見つけなくてもいいんじゃないかな。むしろ、目の前にあるものをなんでも引き受けて、やりながらその道々で都度都度に真剣に考えて、なるべくたくさんの紆余曲折を経て、さんざん遠回りをしたほうが、ロールプレイングゲームの「生命力」が強くなるみたいな、武器をたくさん手に入れるみたいな、そんな気もしているんですよね。

そろそろ「編集長」とかって、きちんと名乗ったほうがいいのかな。

ひなやさんの衣料品再生プロジェクト「Re: リコロン」について

「小学6年生のかっこう」というのが、ぼくのファッションセンスに対するぼく自身の批評です。ジーパンにチェックのシャツとスニーカー。上に着るものがプレーンなトレーナーだったりカーディガンだったりベストだったりするだけでとくに代わり映えせず、ブランドもとくにないようなもの。時計もしない。ネックレスもピアスもブレスレットもミサンガもなーんにもつけない。つけてるのは結婚指輪だけ。帽子もなし。眼鏡もふつうの没個性な黒縁。そんな調子でとにかく40年やってきて、最近になってちょっとこれはさすがにダメなんじゃないかなと、いまさらながら思うようになりました。

なぜかというと、変な譬えかもしれないんですけど、春には春の、秋には秋の野菜があるように、本来、服にも「旬」があるんじゃないかなと思ったんです。ふと。それは単に「流行」ということではなく、その服がその人に着てもらうのにいちばんふさわしい時期みたいなものです。だから季節や時代、職種や性格、それから体形や年齢やTPOやにあわせて服をきちんと変えるというのは、それなりにちゃんと意味があることだということにあらためてというか、頭でではなくきちんと感覚として理解できたように思ったのでした。なんというか、これまでのぼくのファッションへの嗜好は、単に自分にとっておいしいと思うものだけを、旬とか味付けとか食べ合わせとか無視して、年中飽きもせず食べ続けてきたようなもんだったんだなあ、と気付かされたわけなんです。

昨夜、京都のテキスタイルメーカー「ひなや」さん(株式会社ひなや)が始められた「Re: リコロン(Re: (リコロン) 衣料品再生プロジェクト | Facebook)」というプロジェクトの内覧会にお伺いしてきて、まあそこで自分がもっとも疎いファッションに関する分野の方々とお話したことがきっかけで、そんなことを考えるようになったわけです。「Re: リコロン」というのはアトリエに持ち込まれた不要になった服を、「メンバー」になった人に無料で持ち帰ってもらったり、汚れてしまった古着を草木染にして新たな価値を付加するなど、衣料品のリユース・リメイクを目的に人たちが集うコミュニティなんですけど、要はこれって、着る人じゃなく着られる服の方の目線から生活をとらえ直すってことだよなーとぼくは思ったんです。ぼくにとってこの服が好きか嫌いかということはもちろんあるにせよ、むしろそれよりこの服にとっていまの自分がふさわしいかどうかを見きわめる、というような感じ。ぼくが服を選ぶのではなく、服の方がぼくを選ぶ。この視点の転換によって気づくことがたくさんありました。

たとえばぼくみたいにファッションに疎い人は、自分がほしい服を買うと同じような服ばかり買ってしまい逆に個性がなくなっていくし、時代の感覚や年相応みたいなものが失われてしまう。ぼくはその服を求めてるけど服の方はぼくを求めていないというよな、ミスマッチが起こったりする。むしろ服を「非所有する」というような新しい感覚を意識づけることで、逆にその服の旬をとらえられるような気が、なんとなくしたんですよ。これは新しいなあと。自分が好きなブランドや好きなスタイルの服を買うのではなく、服の側からの視点で自分を見てみて自分に合った服をチョイスする。あるいはリメイクする。そのほうが、かえってリアルな自分の「ファッション」というものが見つかるかもしれない。考えてみればそもそも京都は「着だおれ」とかいって、繊維やら染やら織やらが盛んな街ですし、ひなやの伊豆蔵直人さんも仰ってましたけど、ファッションというのはコミュニケーションの入り口になりやすいという特性もあると思うんですよね。新しい和装の可能性に挑戦する人々なんかはもちろん、「Re : リコロン」みたいなユニークな取り組みも含めた「ENJOY KYOTOファッション特集号」みたいなのがあったらいいだろうなあ。