ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

ふつうをちょっとだけ特別にするということ

欽ちゃんこと萩本欽一さんが「若いころはいやな仕事しかまわってこない。でもそこにしかチャンスはない」って言ってて、ああこれはすごい言葉だなあと思ったことがありました。実際にそうですし。
それからその昔「コンビニでこんなサービスやってくれたらいいなと思えるアイデア」という課題に対し、みんなマドンナがコンビニでコンサートするとかコンビニが映画館になるなどアイデアの奇抜さを競い合ったが、糸井重里さんは「カップラーメンにお湯を入れてくれるサービスがあったらいいのにね・・・」と普通にひとこと言った、みたいな話があって、これもすごく好きなエピソードです(いまではふつうにどこでも見かけるサービスになりましたね)。

欽ちゃんが言う「誰にでもできることしか目の前になかったら、それを誰にもできないことにしてしまえばいい」。糸井さんが言う「アイデアというと奇抜なことを考えがちだけど、いちばん普通なこと、いちばん生活の中に近いことで、おもしろがれることが、いちばんいいアイデア」。このふたつは、自分もこの仕事を始めたころからずっと抱えてきた、自分なりのフィロソフィーと重なる部分がかなりありました。

振り返れば15年間ひとつの広告賞にも応募せず、ただただ目の前の仕事に一所懸命に打ち込んできて、たとえばこのちっぽけな名もない企業の、それもさして魅力のない商品を、どうにかしてみんなに愛されるものにしたい、というような気持ちで向き合って来ただけでした。そして「とにかくいちばん目の肥えた消費者であれ」というスタンスでした。それでよくクライアントともケンカしました。「売れなきゃ意味ないでしょう」「消費者はそこを見てませんよ」と。

そんな仕事の仕方は、ある人から見れば向上心も自己プロデュース能力もない、職人気質で古いタイプのクリエーターかもしれません。けれどいま、ENJOY KYOTOでやろうとしていることは、ほんとうにそういう自分の仕事の向き合い方が活きるかたちの仕事場です(ああ「仕事場」って言葉いいなあ)。

世界遺産なんですスゴイでしょう?」というふうに紹介するんじゃなくて、そんな世界遺産近くに住んでる人がふつうに毎朝、箒がけしていたりして、京都の人にどんなふうに愛されているかを伝えるメディアでありたい。そして直接的なユーザーである外国人に、彼ら彼女らがいったい京都になにを求めているのか?どんな京都を知りたいのか?ではなく、彼ら彼女らにこんな京都を知ってほしいっていう、僕らの方から語りかけられるメディア、そして語り合えるメディアでありたいと思っています。

そんなわけで、来月は夏の終わりのオーストラリア・メルボルンに行ってきます。自分たちが「外国人観光客」として、街を歩き、人と話し、いろいろ困ってみようと思います。人の暮らしでの困りごとを考えるのは15年やってきたという自負がありますから、「外国人」としてどんどん困ってこようと思います。

京都を案内する英字フリーペーパーを発行してはいるけれど、ぼくは京都のしきたりを知り尽くした顔利きでもなければ、バイリンガルな国際人でもありません。でもふつうに生活するということではそれなりに達人ではあると思うんです。そしてそれこそはむしろ、世界共通でみんなが持ってる言語だと思うから、このメディアについて自信はなくはないんですよ。

手で書く、手で描く。

ちょっと前に糸井重里さんとジブリ鈴木敏夫さんの手書きファックスでのやりとりが話題になってました。手書き文字で書くと言葉の表情まで伝わるから、たとえば「再考!」という鈴木さんのダメだしが決して一方的なものではないことが、その自筆の表情によってしっかり伝わります。それゆえ、ふたりのファックスによる往復書簡が、どんどんそれ自体ひとつの魅力的なドラマというか、コンテンツのようになっていく不思議なおもしろさがありました。
糸井重里と鈴木敏夫の「生きろ。」を巡る往復書簡 | note|tacrow.com


ぼくはいわゆる「うるさ方」と呼ばれるようなわりと古い世代のクリエータの方々から基本を教わったおそらくは最後の世代に近いと思うのですが、その名残りかいまでもデザイナーさんに構成やレイアウトイメージを伝えるときに、拙い絵を描いてコミュニケーションをしています。ぼくはもうほんとうに浜田雅功画伯に負けず劣らすと言っていいくらい、もうこれが見事に絵心がないのですが、この手描きサムネイルだけはそれなりに描けるようになりました。これこそ、まさに修行のたまものだと思います。



これがぼくが描いた手描きサムネイル。

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こちらができあがり。

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いまなんかだと、パワーポイントでサクッとラフなんか誰でも作れちゃうし、そのほうがいいっていう場合もあるんだろうと思います。会議なんかでも最近だとけっこうみなさんノートパソコンやタブレットに「タカタカタカ」とメモをしていく。ノートはノートでも紙のノートにメモしているのはぼくくらい、ということもしばしばです。

いやね、決して「昔はよかった」といいたいわけではなく「オレ様が正しい」ということでもなく。それはどっちもアリなんです。ただ、いまのところぼくに関してはこの会議のメモやサムネイルについては「手で書く、手で描く」のほうにまだまだ軍配があがるんです。その理由についてはフィジカルを刺激しているかどうか、ということがあるんだと思っています。

手と頭が回路のようなものでつながっていく感覚が、ものづくりをやっている人には誰でもあるんじゃないでしょうか?頭に思い描いたイメージが勝手に手を動かしていく、あるいはその逆にからだに刻み込まれたフォームがフィードバックして思考を促すというような感覚です。この感覚をなんどか経験していくと、すこしずつ意識的にその回路をつなげられるようになってきます。達人と呼ばれる人はその回路のつなげ方が上手だったりもするんだと思うんですね。

アナログが大事だなーと思うのは、単なる郷愁ではなくて、この「回路がつながる感覚」をつかむのにアナログなやりかたのほうが近道だという実感があるからなんです。「音楽」はいまや情報コンテンツとしてとらえられていますが、たとえばかつてはレコードに針を落として25分弱でソファから立ち上がっていってひっくり返してまた針を落とすというめんどくさい作業が入ることで「体験」としてからだに刻まれていたと思うのですが、こういうフィジカルな動作が加わることで「耳からの情報と思考」が回路でつながり、音楽はいまより深く刻み込まれていたように思います。

すべての「所作」というのはそういう風にして生み出されていくのではないかなと思います。レコードに限らず、カメラで写真を撮る、やかんで湯を沸かしお茶を淹れる、マッチでストーブに火を入れるなどなど、ほんの数年前まであったフィジカルな「動作」は、そのほとんどがボタンひとつになってしまい、「所作」とよばれるようなものは生活からどんどん失われてしまったように感じます。だからぼくはときどきレコードをかけたり急須でお茶を淹れたりします。めんどうに感じがちなひとつひとつの生活の所作は、わりに人生をいきいきさせてくれるように感じるし、子どもにとっても小さいころの生活の記憶がより深く刻まれることになるだろうと思うからです。

そういえば最近は若い人だけでなく、所作のお美しいご老人をお見かけることが少なくなった気がするなあ。

1年坊主だった15年前に書いた自分のコピーを読んでみた

先日、実家に帰ったら母親が大事に取っていたという古い新聞が出てきました。それはぼくがこのコピーライターという仕事に就いて最初にかかわった、わりに大きめの仕事である毎日新聞の15段全面シリーズ広告「昭和の伝言」という新聞広告でした。日付を見ると1998年9月10日と同年10月29日となっている。平成も10年になって、もういちど昭和という時代を見つめ直そうという、毎日新聞の意見広告でした。それは、ぼくが26歳で入社してわずか2か月後から始まったシリーズでした。

もちろん当時ぼくはまだ一年生ですから、ぼくの原稿をチェックするチーフがいました。「アメリカが青春だったころのアメリカがある」というミスタードーナツのコピーで、それなりに一世を風靡したコピーライターで平島さんという方でした。
しかしじつは、このシリーズのコピーはほとんどぼくが書いたものが採用されていて、平島氏はちょろっと整えた程度にしか手を加えていません。逆に言えば、このコピーをぼくがわりあいしっかり書けことで、平島氏はじめ20年以上キャリア差のある実績豊富な師匠連中に「こいつは書ける」と認めてもらったといってもいいと思います。

さて、この文章をほぼ15年ぶりくらいで読み返して感じたのは、自分なりのラインはすでにできているなというか、いま自分のなかで書くときに文法のようなもの、起承転結と言うか序破急と言うか、導入から締めまでのストーリーラインがいまの自分のものとあまり変わらず、すでにあるなあということです。リズムなんかもそうかもですね。これは進歩していないということではなく、わりに若いうちにある程度もの書きとしての原型とうか基礎体力と言うか足腰のようなものができていたということだと思うのです。そしてある意味でこれは僕にとってのステイトメントみたいな仕事になったなあと、いまは思うのですね。

時代背景を考えるとこれを書いた当時は、もっとストレートに「自然を取り戻そう」とか「いまどきの若者は」とか、大人がガンガン偉そうに言っているような時代だったように記憶しています。そしてそんな時代にあって、ぼくは当時の若者だったし都市生活者でもあったから、その単純な二項対立みたいなものに反発があったんです。反発というか、自然も大事だけど豊かな現代文明を単純に否定したり、わかりやすく若者に媚びるような意見も書きたくなかった。どちらもの良さをわかったうえで、それでも大事なものが最後の最後に残るよね、と。そんな風にして届けたかった。それでこんな文章になったし、平島さんは優れたライターだったからすぐにそこに気づいて「これはおもしろい」ってその線で行けと背中を押してくれた。

で、いま15年経ってみるとこの視点は「なんだこれ、すんごいふつうだよなあ」とね、感じたんですね。でもそれでいいというか、それがいいんだよなあと思っています。
15年前、26歳の僕がすこしだけ背伸びしてやろうと、もう少し違う視点で書いてやろうとチャレンジした物言いが、いまはごくふつうの視点になっている。それはその当時の自分の視線が、それなりにきちんと「ちょっとだけ先」を見ていた、ということの証明なんだろうと、ちょっと偉そうに言うと、そんなふうに思うのです。


変わってしまったのは、子供たちだろうか、ほんとうに。
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大人は判っちゃいないぜと、あの頃、父も呟いたはずだ。
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和菓子店 青洋さんに伺って

取材と撮影で、青山洋子さんの工房でありお店でもある
青洋さん(Petit Homepage Service)にお邪魔してきました。

じつはここでもうサラッと書いちゃうんですけど
青山さんにはENJOY KYOTOの次号で紹介するための
「ENJOY KYOTOオリジナル和菓子」の制作を依頼していまして、
そんなこともあって伺いました。
オリジナル和菓子については、また春になったら誌面やウェブで
ご紹介できると思いますので、お楽しみに。

http://instagram.com/p/jlddupszn2/



青山さんの工房では毎月3日間だけ直接販売をされていまして、
取材の間にも、すぐご近所の奥様やご友人らしき女性、
「今月のはどんなのやろ?と楽しみにしてた」っていう常連さん、
さらには、ちょっと和菓子には一家言ありそうなおば様まで、
じつにたくさんの方がいらしてました。


で、今月のお菓子の中からぼくが買って帰った一例をご紹介します。

http://instagram.com/p/jlbUQMszmJ/

「雪あそび」。ぼくは一応ネーミングに関してはプロなんですけど
青洋さんのお菓子のネーミングがいいんです。じつに。
ストレートに「雪だるま」じゃないところがホントいいんですよね。




http://instagram.com/p/jlbmKBMzmZ/

名前は「大寒のころ」。ふわふわのラビットファーを模した
かわいいお菓子。つくね芋きんとんの味がしっかり。




http://instagram.com/p/jlb6k1Mzmn/

その名も「作戦会議」。三色の鬼が薄く描かれていて、
そう聞くとほら、もう昔話に出てくる鬼たちが悪だくみ
してるユーモラスな場面が目に浮かんできますよね。




http://instagram.com/p/jlcbueMznA/

で、ぼくはこの最後のオーロラを模した「北欧の夜」に
とりわけ惹かれたんですね。シンプルなんだけどすごく
印象的。ネーミングもやはりダイレクトに「オーロラ」
じゃないとこがいいんですよ。




そんなわけでいろいろとお話伺っていてあらためて思ったのは
和菓子というのは、そのデザインとネーミングの妙味で
バックグラウンドや物語、風景がパッと広がる楽しみがありますよね。
こういうちょっと食べるものにたっぷり遊びごころを持たせちゃう
っていうのはほんとに日本らしいなあと思いますし
それが「お菓子」っていうのがいいんですよ。

あと、なんとなくいまって「かわいい!」「おいしい!」っていう、
本能の第一声みたいな感覚ばかりが取りざたされがちですけど
やっぱり、できるだけそういう背景なんかもわかったほうが
断然おもしろいんじゃないかなーって思いますし、
とくに外国の人にですね、和菓子の文化を伝えるには
そういったことを入り口にしてもらえたら、とも思ってもいるんです。

たとえば外国の友だちを家に迎えたとして、そこで和菓子を出したとして
「かわいいよねー」「おいしいよねー」でパッと共感するだけじゃなく
「じつはこれはね。。。」ってそのお菓子にある背景なんかも話しあえた方が
きっと会話も広がるし、ぜったいもっと楽しいはずなんですよ。
かといってあんまり教養っぽくなっちゃうと違うなーと思うんです。
そのあたりもね、やっぱりお菓子だから、いいんですよ。
変な言い方だけど、教養をもっとカジュアルに。
そこをENJOY KYOTOは誌面でやっていきたいと思っています。

2013年をサクッと振り返って。

さて、大晦日になりました。今年はすこしお手伝いさせていただいた「CLASS ROOM 小豆島REPORT|地域×デザインを考える「CLASS ROOM」」で春と夏に小豆島に伺って地域に根付いた産業を丁寧に作っている人たちに出会い、またそれを広めていく活動をしている方ともお話させていただく機会がありました。
それから夏以降では、今度は自分の活動として京都を外国人観光客に紹介する「ENJOY KYOTO」をつくる活動が始まりました。
このふたつの活動はじつはつながっていて、いずれも共通して日本が抱えている少子化による経済縮小がもたらす文化の衰退というものにどう向き合うのかということが問われるものでした。もちろんそれに対する答えがあって動いているわけではありません。もともとそういうことにうっすらと関心はあったものの、自分になにかができると思って積極的に立ち上げた取り組みというわけではありませんでした。
それでも。気づけばそういう時代の動きのなかに自分がいて、自分が問われて、それで「じゃあやってみるか」と動いてみた。それは西から風が吹けば枝は東へと振れるみたいな、とても自然な反応でした。なーんとなくいい風が吹いてきたので方向が決まった。じゃあってんで歩みだしてみたらいろんな人とつながって「じゃあオマエも一緒に歩くか」となったりして、気が付けば大きな流れになっていた。ほんとにそんな感じでした。

先日も、フリーペーパー「ENJOY KYOTO」でお世話になっている書家の川尾朋子さんのお誘いで伺った忘年会で、能面や提灯や和装や三味線などを作っていらっしゃる職人さんはじめ、京都の伝統文化に関わるさまざまな分野で活動している20代や30代の若い人たちにたくさん出会うことができました。おひとりおひとりお話を伺っていると、ひとりにひとつ、それぞれに物語があって、これがもういちいちおもしろいんですよ。来年の号でひとりずつ特集で順番に取り上げていけるくらいに。しかもおもしろいだけでなくて、自分が歩みはじめたときに考えてきたことと非常に重なる部分が多くて、ああここにも「風」を感じている人たちがいるんだなあと実感する夜になりました。また以前、ある学校の学校案内の取材でお話させていただいたアーティストの串野真也さんにも再会できるなど、いろんなご縁がつながる機会となり、ほんとうに来年が楽しみになりました。

いつも思うのですが、ぼくはコピーライターという職業もいわば職人でありものづくりの端くれとしての矜持をもって仕事しなければと心がけています。しかし反面、この会でお会いした方々のように、あるいは農家の方や小豆島でお会いした人たちのように、リアルにものをつくってそれを自分で売って生計を立てる、という人たちにくらべると、薄っぺらいというか後ろめたいというか。そういうコンプレックスのようなものが付きまとうようなところはありました。申し訳ないというような、このへんは伝えるのが難しいんですけど。
夏にお会いした地元カンパニーの児玉光史さんが仰ってた「企画とかデザインとかプレゼンとかっていうんだけど、農家の人らからしたら「で、お前らどこでリスクを取るの?」ということになるんですよね」という言葉がいまも忘れられないんですけど、リアルに野菜作って台風とか冷害とかあればぜんぶパアになる。そんなリスクはライターやデザイナーにはないですよね。そこはこう胸にズシっときましたね。

でも、だからこそ。自分に何ができるかを謙虚に考え続けてきたんですね。ぼくにはいわゆる「田舎」がないので、起こすべき地方もない。じゃあ、どうするのか?やはり京都に戻ってくるんですね。いわば地方が日本全体を視野に産業の再興に向けた新しい取り組みをするのに対し、京都は海外に向けて地域産業をアピールできる。そのポテンシャルがあるのは京都だけだし、自分ができるふるさとへの貢献、生まれ育ててくれた街にできることってなんだろうと考えたときに「ENJOY KYOTO」はピッタリの媒体だったんですね。
自分が考え続けてきたことを、自分が培ってきた技術を使って、自分自身で発信していくメディアを持てた。これが今年の最大の進歩だと思います。でもそれは「変化」とか「チャレンジ」とかではなく、何度も言うように考え続けてきたこと、それも10代とかからぼんやりと考え続けてきたことや自分なりに取り組んできたことが、スーッとつながったということであって、今年になって急に始めたことという意識は自分にはあまりないんですね。やっぱりなんだって、一歩一歩なんですよ。近道なんてないし、近道を探していろんなことをスキップしてできた成功論やノウハウで出来たものは、やっぱり弱いんです。それは職人さんの仕事を見ているとわかるし、あらためて自分の取り組みのなかでも実感できた2013年でした。ああ、遠回りし続けてきてよかった!

皆さんはどんな大晦日ですか?ぼくは昨夜ようやく仕事が納まって、今日は午後からそそくさと京都を離れます。年の瀬らしさは年々失われてはいるものの、年の終わりというのは節目なのでやはりいろいろと思うところはありますし、それでこんなブログも書き残すことにしました。とはいえ、今朝も6時には起きて(ふだんは4時に起きているのですこしお寝坊なほう)ふだんどおり佐藤弘樹さんのαモーニングキョウトを聴きながら、トーストとエスプレッソとヨーグルトとアップルジュースの朝食です。
大晦日といえど今日もふだんどおり、あたりまえを、あたりまえに。あらためて、これに尽きるなあと思います。来年は早々に2号が配布されます。川尾朋子さんが表紙&巻頭特集です。渾身の原稿を書いてます。そして年明けすぐの8日にはNHK京都でENJOY KYOTOが紹介されます(くわしくは→ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~)。こんなに来年が楽しみな年末は、ほんとうにほんとうに久しぶりです。では皆さんも、よいお年を!

まどみちおさんのことば

子どもといるといわゆる童謡やわらべ歌のようなものと再会する機会があり、そのあまりにシンプルで耳慣れたフレーズや歌詞にまったく気づかなかったけど、これまで何気なく口ずさんでたメロディーがすごいポップな音楽だったんだなあと感心したり、ふといままであまり考えてこなかった歌詞について考えたりすることがあります。その典型がまどみちおさん。このドロップスの歌は素晴らしい歌詞とポップなメロディーに、ああこんないい曲だったんだと再発見したし、誰もが知ってる「ぞうさん」の歌詞の本当の意味には深い感銘を受けました。



ぞうさん



以下、まどみちおさんご自身の解説です。

ぞうの子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って答えた。それは、ぞうがぞうとして生かされていることが、すばらしいと思っているからです。だからこの歌は、ぞうに生まれてうれしいぞうの歌、と思われたがっているでしょう。目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲良くしようということです。



誰もが知ってる「ぞうさん」。この歌詞は「お鼻が長い」と揶揄された子どもの象が「母さんも長い」と誇りをもって答え、二番の歌詞でその「母さんが一番好きなのよ」と語ることで、自らの出自や特性など母から受け継いだものを愛していると宣言している歌だったんです。それをこのシンプルな言葉で!物書きのお手本のような詩ですね。「やぎさんゆうびん」とか「ふしぎなポケット」とか、共通してシンプルな言葉の繰り返しなのに、世界は閉じないで広がっていく。ほんとうにすごいです。プロの仕事だなあという感じ。なにより現在104歳でいまだご存命だということがすごい!



やぎさんゆうびん


不思議なポケット

ENJOY KYOTOがテレビに出ます

じつはENJOY KYOTOがテレビで取り上げていただくことになりまして先日取材を受けてきました。

放映は1月8日(水)NHK京都放送局の18時10分からの「ニュース610 京いちにち」という地域ニュースの番組でこれは京都エリアの方だけしか見れませんが、翌日1月9日(木)の11時30分からNHK総合でオンエアの「ぐるっと関西おひるまえ」でも同じ内容が放映されます。こちらは関西2府4県で見ることができます。

僕はライターなのでふだん取材する仕事ですが、取材されることはまずないことですし、まさか自分がテレビに出るなんて考えもしなかったので、あまりうまくしゃべれなかったですが、でも少しでも多くの人に僕らの取り組みを知ってもらえたらなあと思います。

ENJOY KYOTOは外国人観光客向けの媒体で基本は英語でコミュニケーションしていますから、なかなか日本語で日本の人向けに発信する機会はありませんので、「前からなんやかやゆうてるENJOY KYOTOてなんやねん、それ食たらうまいんかい」と思ってる方にはぜひご覧いただきたいです。
それに、ぼくもですけど他のメンバーもしゃべってますので、ああこんな人たちで作ってるんやなあということがわかっていただけるいい機会でもありますので「要ちぇきら!」ってことで皆さんよろしくです。