ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

映画評「ホテル・ルワンダ」

今日は広島に原爆が投下された日です。ことしもまた今日を皮切りにこれから15日の終戦の日まで、原爆や第二次大戦に関するドキュメンタリーや実録ドラマが数多く流されることでしょう。うん、それでまあこの時期だからということで「終戦のエンペラー」とか観に行っちゃうっていうのも、べつにそれはそれで全然かまわないんですよ。構わないんですけど、ぼくはあえて「ホテル・ルワンダ」みたいな映画をね、この際に観てみるのもいいんじゃないかなあと思うんです。

映画「ホテル・ルワンダ」は、1994年、ルワンダの内戦の際に引き起こされたフツ族によるツチ族に対するジェノサイドを描いた作品。ツチ族を中心にわずか100日で100万人もの人が殺されたといわれています。東日本大震災で亡くなった方と行方不明者があわせておよそ2万人、広島の原爆で亡くなった方が15~20万人といわれていますから、その悲惨さというのは想像を絶するものです。

主人公のポールはヨーロッパ資本の高級ホテルの雇われ支配人。虐殺がはじまったとき、彼はフツ族の人間でありながらツチ族の難民をホテルに受け入れ匿います。じつは彼の妻もツチ族でした。ツチ族を匿うことは裏切り者とされフツ族であっても殺されるかなり危険な行為。それでも彼がホテルにツチ族の難民や孤児を受け入れ続けたのは、もちろん家族を守るためでもあったんでしょうけど、同時に彼自身のプライドとそれからホテルの品格を守るためだったのだろうと想像されます。

さて、ようやく国連平和維持軍の救援部隊が到着し、安堵したのもつかの間、彼ら国連平和維持軍は外国人の脱出と同時にここを撤退すると告げ、見捨てられたかたちのポールや避難民たちは大いに失望します。またヨーロッパから取材に来ていたカメラマンはポールに対し「残念ながら君が期待している外国はこの虐殺映像を見ても「ヒドイ!」と言って、それからまたディナーを続けるだけだろう」と謝罪と同情の言葉をかけます。

なんというかこの一連のシーンを見ていて胸を突かれるような思いになるのは、ぼく自身がそのいわゆる「ディナーを続ける外国人の一人」なのだということですよね。シリアやスーダンをはじめ中東や北アフリカでは紛争や内戦によって数多くの民間人がいままさに虐殺されていますけど、こうしたジェノサイドについて、ぼくらってかなり無関心なままでやり過ごしてきちゃったんだなあと思うんですよ。

いま現在、日本は国連平和維持軍においては停戦合意のない、いわゆる「紛争地」での活動には参加できません(ちなみに日本の自衛隊はこの紛争にあたってはルワンダ国外にある難民キャンプで支援活動をしていたのだそうです)。もちろんいろんな意見があるのはわかるんですよ。わかるんですけど、果たしてわれわれが折にふれ、願い、叫び、祈っている「平和」というのは、「日本の平和」のことだけでいいものなのだろうか、なんてことをどうしても思うんですね。とくに以前この映画を観たとき、ぼくはまだ独身で子どももいませんでしたけど、いま親としてあらためて観てみると、そういう思いをよりいっそう強く持ちました。

もしも。われわれのいう平和が、遠い外国で行われている無残な虐殺になんらコミットしないことで成り立っているのだとしたら、果たしてそいつを平和と呼んで差し支えないものなのかな、なんてこともね、ちょっとぼくなんかが言うのはおこがましいかもですけど、感じたりはしますよね。政治のことも国際情勢のこともくわしいわけでは決してない素人考えでこんなこと言うのもなんなんですけども、広島のいわゆる「原爆の日」にあえてこの映画を観たことで、ちょっとねえ、そんなことをつらつらと考えたりしていました。どうせ平和を祈るなら、世界中の国や地域が平和になるよう祈ったほうが、ぜったいいいもんね。