ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

新年度を迎えるにあたっての報告と述懐

年度も明けたのでもう公開してもよいだろう。じつは小説家デビューが決まった。フリーランスになった昨年夏からひそかに進めてきた原稿がようやくかたちになり、出版社との打ち合わせを重ねた末、ついにというかなんというか、ともかく夏ごろには書店に並ぶことになりそうだ。本のタイトルは「囚われた鳥こそが、より遠く高く飛ぶ」とした。あらすじは後述にまわすとして、じつはぼくの物書きとしてのデビューは小学校5年生だから11歳のころ、いまからちょうど30年前に遡る。

卒業生を送る会の出し物のクラス演劇用脚本としてオリジナルで書き起こした。舞台は幕末の日本。現代の(といっても当時のだからいまから30年前だが)小学生数人がひょんなことから幕末の世へタイムスリップを果たす。そのうち新選組の若者と親しくなり彼らのその後の運命を思い、小学生たちは未来へは帰らず新選組に加入しこの時代に残る決断をする。その後はみなさんご承知のとおりである、というお話だった。これは大まかな史実を司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を参考にしながら、漫画「パタリロ」からタマネギ部隊の予備軍であるヒマワリ部隊のひとりヒマワリ23号がタイムマシンンに乗ってフランス革命前夜のベルサイユへ行き、ある事情によりその時代へとどまる決心をしたお話のストーリーを置き換えたものであり、先生方からの評価が高かったが友人からの賞賛はほとんどなく、ゆえにこれでモテたという記憶もない。まったくない。

次いで高校生のころ「国語表現」の授業の課題で書いた小説は、川沿いの堤防で自殺をしようとしていた青年をたまたま通りかかった犬に引き止められるという童話的な心温まるお話で「A+」の評価をもらった。その後もニート時代は短編小説や詩を、映画学校時代には貧しさに干からびそうになりながら多くの報われない映画用台本を書いてきた。それだけに、今回の小説家デビューは感慨深いものがあった。さて、あらすじはこうだ。

 

時は2070年。かつて日本国籍保有者として初めてスペースシャトル計画に加わった宇宙飛行士である毛利衛が提唱した「ユニバソロジ」に感銘を受けた青年は、夢であった宇宙飛行士となり、最初のミッションで人類初の有人木星探査へと向かう。人類史上初めて木星の地に降り立った彼は、そこでなんと鎌倉初期の禅僧・道元に出会う。そして道元からじきじきに「正法眼蔵」の現成公案について教えを乞う。その話は彼が追い求めてきた「ユニバソロジ」と完全に共鳴する思想だった。さらに探査を続けるなかで、次いで荘子に「万物斉同」を、ハイデガーに「杣径(Holzwege)」など同様の考えを持つ思想を同じくじきじきに学ぶ「思想の旅」を続ける。と、ここで彼の探査はある到達点にたどり着く。彼はその最終の地で、56億7000万年後に現れるはずの弥勒菩薩と対面する。しかも弥勒菩薩の正体はなんと中島らも、その人であった。中島らもであるところの弥勒菩薩は彼を見てひと言「あんたも、このうがい薬いっぱいどうや?」と尋ねる。彼はそれを丁重に断ると言葉少なに宇宙探査船に乗り込み、緑の故郷・地球へと帰っていった。地球に帰った彼は大偉業に湧く各国マスコミや政府関係者との接触を一切断ち、すべての沈黙を保ったまま、伏見の大手筋商店街に小さな中華料理屋「湯丹馬蘇路磁」を開く。この店の売りはなんといっても「東坡肉(トンポーロー)」。これは宋の詩人・蘇軾(蘇東坡=「そとうば」とも呼ばれる)にちなんだ料理だ。この料理のいわれにはこうある。

 「皇帝・神宗が没した後には蘇軾は中央政界に復帰するが政争に巻き込まれ、1089年に杭州にふたたび左遷される。蘇軾は杭州で西湖の水利工事を行い、その際に工事を感謝した現地の人々から豚と酒(紹興酒)を献上された。豚肉と酒を使って紅焼肉を作るよう自宅の料理人に命じ、工事の寄付台帳にあった家に料理が振る舞われた。蘇軾の振る舞った料理を絶賛した杭州の人々は料理に「東坡肉」と名付け、料理店でも作られるようになったという」。

さて、彼はこの「東坡肉」をメインにしたランチ定食を「宇宙定食」と名付け850円で出したところ食べ盛りの学生や肉体労働者を中心に大ヒット。女性受けはしなかったがそれでも今度はグルメ雑誌やタウン誌などの取材を求められるようになった。が、それもすべて断った。その後、彼は偏屈な中華屋の名物オヤジとして静かな余生を過ごし、休日には読書したり詩や書を記す隠者のような暮らしを送った。生涯、妻を娶ることはなかった。地元では「伏見のそとうば(蘇東坡)さん」として親しまれ、彼の偉業をたたえる小さな祠が建てられるなどひっそりと語り継がれていった。

 

以上がこの小説のあらすじだ。ぼくはこの小説をストラビンスキーの「火の鳥」を繰り返し繰り返し聞きながら書き上げた。書き上げてから気づいたのだが、この選曲には手塚治虫の同名漫画のイメージが頭のどこかにあったのかもしれない。ともかくぼくはこの小説を通じて、真理や仏法は自分の外にあるのではなく自分の中、それも日常の暮らしの中にあるのだという道元の思想をベースにしながら、真理に出会う過程で西洋・東洋のすぐれた思想家との対話を通じて成長していく、ごくごくふつうの男の物語を書きたかった。そしてもうひとつ。この主人公にはモデルがいる。それは天神橋筋商店街にあった(いまなもうない。非常に残念だ)中華料理店「興撥楼」のオヤジである。お客そっちのけで店内のテレビで流れるワイドショーをネタに「ホンマこいつが悪やねん」とかなんとかアルバイトのおばちゃんたちとブツブツ言っていた店主のオヤジがじつは宇宙飛行士の過去を持っていたら、というわけのわからない仮説(妄想?)のもとに物語世界を構築した。彼なしではこの小説は一行たりとも書けなかっただろう。この本はまさしく彼に捧げられている。本の冒頭でも触れてはいるが、ここであらためて謝辞を述べたい。

この本はおそらくベストセラーになることはないだろう。しかしそれでも、少しでも多くの人に、とりわけ将来のゆく末に不安を抱く若者たちに、広く長く読み継がれる本になればと願うばかりである。