1年坊主だった15年前に書いた自分のコピーを読んでみた
先日、実家に帰ったら母親が大事に取っていたという古い新聞が出てきました。それはぼくがこのコピーライターという仕事に就いて最初にかかわった、わりに大きめの仕事である毎日新聞の15段全面シリーズ広告「昭和の伝言」という新聞広告でした。日付を見ると1998年9月10日と同年10月29日となっている。平成も10年になって、もういちど昭和という時代を見つめ直そうという、毎日新聞の意見広告でした。それは、ぼくが26歳で入社してわずか2か月後から始まったシリーズでした。
もちろん当時ぼくはまだ一年生ですから、ぼくの原稿をチェックするチーフがいました。「アメリカが青春だったころのアメリカがある」というミスタードーナツのコピーで、それなりに一世を風靡したコピーライターで平島さんという方でした。
しかしじつは、このシリーズのコピーはほとんどぼくが書いたものが採用されていて、平島氏はちょろっと整えた程度にしか手を加えていません。逆に言えば、このコピーをぼくがわりあいしっかり書けことで、平島氏はじめ20年以上キャリア差のある実績豊富な師匠連中に「こいつは書ける」と認めてもらったといってもいいと思います。
さて、この文章をほぼ15年ぶりくらいで読み返して感じたのは、自分なりのラインはすでにできているなというか、いま自分のなかで書くときに文法のようなもの、起承転結と言うか序破急と言うか、導入から締めまでのストーリーラインがいまの自分のものとあまり変わらず、すでにあるなあということです。リズムなんかもそうかもですね。これは進歩していないということではなく、わりに若いうちにある程度もの書きとしての原型とうか基礎体力と言うか足腰のようなものができていたということだと思うのです。そしてある意味でこれは僕にとってのステイトメントみたいな仕事になったなあと、いまは思うのですね。
時代背景を考えるとこれを書いた当時は、もっとストレートに「自然を取り戻そう」とか「いまどきの若者は」とか、大人がガンガン偉そうに言っているような時代だったように記憶しています。そしてそんな時代にあって、ぼくは当時の若者だったし都市生活者でもあったから、その単純な二項対立みたいなものに反発があったんです。反発というか、自然も大事だけど豊かな現代文明を単純に否定したり、わかりやすく若者に媚びるような意見も書きたくなかった。どちらもの良さをわかったうえで、それでも大事なものが最後の最後に残るよね、と。そんな風にして届けたかった。それでこんな文章になったし、平島さんは優れたライターだったからすぐにそこに気づいて「これはおもしろい」ってその線で行けと背中を押してくれた。
で、いま15年経ってみるとこの視点は「なんだこれ、すんごいふつうだよなあ」とね、感じたんですね。でもそれでいいというか、それがいいんだよなあと思っています。
15年前、26歳の僕がすこしだけ背伸びしてやろうと、もう少し違う視点で書いてやろうとチャレンジした物言いが、いまはごくふつうの視点になっている。それはその当時の自分の視線が、それなりにきちんと「ちょっとだけ先」を見ていた、ということの証明なんだろうと、ちょっと偉そうに言うと、そんなふうに思うのです。
変わってしまったのは、子供たちだろうか、ほんとうに。
大人は判っちゃいないぜと、あの頃、父も呟いたはずだ。