ENJOY KYOTO Issue22 宇治特集号をセルフレビューします 〜その2〜 「朝日焼 作為しない作為という極意について」
さて、ENJOY KYOTO初のエリア特集として宇治をフィーチャーするにあたって最初に考えたことは、巻頭を飾る特集を何にするかということでした。個人的に知っているところや既に評価の定まったさまざまなお茶にまつわる人々だけでもかなりの候補があり、選考には編集部のメンバーはもちろん、お茶の京都に関わっていらっしゃる京都府や京都コンベンションビューローの方々のご意見なんかにも耳を傾けながら、最終的にはぼく自身の判断で決定しました。
まず今回の巻頭特集では通常6ページを割いているところを4ページに縮小、代わりにより多くの人々を2ページ単位で紹介していくという構成にしました。結果的にはこれは成功したと思います。
そして、今回ぼくが巻頭特集としてピックアップしたのは、宇治に残る唯一の窯元である朝日焼 京都・宇治の茶陶 遠州七窯でした。昨年、ご長男の松林佑典さんが十六世・豊斎を襲名されたばかりということでタイムリーでもあったし、宇治だからといって最初っからお茶ということではなく、お茶を飲む器というのもENJOY KYOTOらしくっていいかなと思ったからでした。
早速、メールで趣旨などをご説明して交渉していたのですが佑典さんはちょうど3月はミラノサローネのご準備で、4月もそのミラノサローネ出席のためミラノに行かれるということでお忙しく、取材が4月の10日以降になると言われてしまいました。入稿は24日。ほぼ2週間しかなく、編集部では諦めようかという声も出ていました。
しかも、じつはこのページの原稿執筆は高橋マキ (@maki_gru2) | Twitterにお願いすることにしていました。外部のライターさんを迎えて、取材から原稿執筆までをお願いするのはENJOY KYOTOとしては初めての試み。と同時に、ぼくとしてもディレクターに徹し、取材には行くのに記事を書かないというのは同じく初の試みでした。そのページで異例の遅いスタート。これはもう無理かもしれない。そう思っていた時にマキさんから「弟の俊幸さんに先にお話聞けへんかなあ」というお話が。え?すみません、どういうことですか?こちらの勉強不足でマキさんに聞いて初めて知ったのですが、松林佑典さんに弟さんがいらっしゃるとのこと。ぼくとしてはその提案に「そうしましょう!」と即決。事前に大まかなストーリーやご用意いただくものなどを俊幸さんと詰めた上で、あらためて10日に取材撮影を行うことにしたらどうか。うん。これなら、なんとかなるかも。それでアプローチしましょうと伝えると、マキさんからのさらなるご提案。「どうせならお二人に出てもらいませんか?」。
じつは朝日焼と高橋マキさんとのあいだには不思議な縁があったようです。もともとマキさんは弟の俊幸さんと懇意にされていたそうなのですが、GO ONなどにも参加されメディアでも取り上げられる機会の多いご長男の佑典さんと、お父様で先代の十五世・松林豊斎さんと3人揃って取材をしようと、そんなお話をされていた矢先に2015年にお父様がご逝去されたため、その企画はお蔵入りしてしまっていた、ということが過去にあったのだそうです。そこで。今回の取材は期せずして実現した兄弟インタビュー。ある意味で弔いの物語でありレクイエム。そして朝日焼きの記事は数多くあれど、ご兄弟での登場というのは、けっこう貴重なことだとお二人も取材の際にお話しされていました。なんだか知らぬ間にピンチがチャンスになるパターンで、スルスルと良い企画になる期待が高まる展開で進んでいったのでした。
水。井戸から汲み上げている。土地の恵みをたっぷり含んだ水。命を生み出す水。
土。近くの山から掘りだす。50年前のものだそうで、長い年月寝かさなければならないのだそうだ。当然、50年後に使うための土をいま掘り出して置いておくわけだ。
木。薪をくべて火を熾す。生命誕生を煽る焔。その源。
さて、朝日焼十六世・豊斎を襲名され、ミラノから帰国されたばかりのお兄さん佑典さんの帰りを待って行われた取材。「これが登り窯です」といって案内されたのですがその大きさにまず圧倒されました。とにかくすごい威圧感。男の子なら絶対魅了されてしまうようなワクワク感でいっぱいです。宮崎アニメに登場する大きな機械といった趣。むかしの人が作った最新型の装置。「火を入れると生き物みたいになりますよ」。弟の俊幸さんがそう話してくれたのですが、まさにそんな感じ。土と水に火が加わって形となる器という命をこの世に産み落とす子宮のような存在なのかもしれない。
登り窯。実際にここに立つとものすごい存在感と生命力。先々代の十四世・豊斎がご自身で設計し作ったというから驚き。
薪をくべていくための穴。
窯の中の状態を見るための覗き穴。
窯の内部。暗くてわかりづらいけど命を宿す場所としての侵すべからざる神聖さを感じました。
今回ぼくが(自ら書くことを想定せず聞き役に徹して伺った)インタビューの中でもとくに個人的に印象に強く残ったのは、お父様が亡くなる直前にご自身「最後の窯かな」との覚悟で臨まれた作品の話。最後とわかって挑む作品がどんなものになるのか?息子の佑典さんが強い関心を抱いていたのですが、出来上がった作品は結局のところ、まったくのふだんどおりの作品だったという。「作為しないという作為」というお父様の哲学がそこにもきちんと表現されていたというお話。さすがにこれはもう参った、という感じでした。おそらくそれこそが、お父様から次世を継ぐ息子への最後のメッセージだったのだろうなあと、父になった自分としてはそう読み取れたわけです。
もうひとつ興味深かったのは、これまではある程度までは自由にのびのびと自分らしさを追究し、たとえばGOONなどでも現代のデザイナーとコラボすることも多かった佑典さんが、十六世を襲名したことによって、あらためて朝日焼らしさを探求し始めたという話。ふつうならまず型を学び、それを極めた上でこんどは自分の作風を築き上げていくものだと思うのですが、ある意味ではその逆。継ぐ前はそれなりに自由にやらせてもらっていたが、世継ぎとなったからにはやはり伝統ある窯元としての仕事をあらためて追究していきたいというお話。お客様は当然にして「朝日焼らしい」イメージの器を求めて来られる。その思いに応える責任を、佑典さんが負ったということではないかなと感じました。そして、だからこそあのお父様の最期の窯、まったくのふだんどおりに作為なく焼いたということの事実とその意味が、ぼくにはより強いメッセージとして思い起こされるのでした。
佑典さんのイタリア出張、高橋マキさんとのご縁、そういう偶然がいくつか重なって、思いがけないかたちで実現した兄弟インタビュー。これらはいま思うと最初っから誰かが仕組んでいたかのように感じます。すごく細い糸の上を歩くように、小さな可能性を手繰り寄せるように、でも確実にこの成果へと導いていきました。これもまた「作為しない作為」の流れの中で生み出されたひとつの器である、というような大切な仕事のひとつとなりました。
ネイティブ監修のリッチと、ライターの高橋マキさん。ひとつひとつ言葉を定めていく「楽しい校正」作業のひとコマ。