フィンランドからの留学生が描く「日本人論」
フィンランドから京都精華大学に留学で来ていたKiiaが一週間後に帰国するということで、彼女の日本での生活とそれを通じて彼女が日本を理解しようとしたプロセスを映像や写真、絵画など含むインスタレーションで表現した個展「日本人論」に行ってきました。
ここに乗せた写真はフリースタイルな茶道や書の作品が多いのですが、全体としてはトラディショナルな日本をイメージしたものはむしろ少なく、モダンでポップな雰囲気のもの、といってもいわゆるKawaiiとかガーリーな感じというよりはモノトーンのものが多く、若さや日常性、さらには日本に対する批評性も感じられ、それこそ精華大学の日本人学生が作ったと言われてもなんら疑問に思わないような内容になっていたのがとくに強く印象に残りました。
じつはKiiaとは半年くらい前にENJOY KYOTOの事務所でいちどお会いしていました。そのころに比べて日本語がすごく上手になっていて驚いたのですが、昨日はKiiaを事務所に連れてきてくれた平居紗季さんも交えていろいろお話しできて、とても楽しかったです。
どうしても外国から本やニュースで見る日本はトラディショナルなイメージが先行しがちだと思うので、こういう若い作家さんが日本で活動してまた本国に帰ることで、いまのリアルな日本やモダンな京都のカルチャーや空気を伝えて行ってくれると、またひとつ理解や関心が深まっていっておもしろいことが生まれるんじゃないかなと感じました。
かなりフリースタイルなお茶席。卵は誕生と変身のシンボルなんだとか。
気高き方の徳が長く伝わること。京都の山と川のイメージなのかも。ここにも卵。
地べたに敷くお布団は日本の生活様式ですよね。下宿生活そのままここに持ち込む意図があるんでしょう。
ぼくは以前より「グローバルというのは全世界が共通の価値観でひとつになることではなく、互いのローカルを認め合いながら、ローカルがローカルのままで別のローカルとつながることだ」と言ってきました。そして、だからこそことさら異国の人との違いを強調するのではなく、表面的な差異のその向こうにある共通点をさがしながら、互いの文化をリスペクトしあえる関係を作っていきたいと考えてきました。Kiiaの個展からは、またひとつそのヒントをもらったようにも思いました。やっぱり異文化と交流し、価値を共有していくうえでのポイントは「日常性」の中にこそ多くあるのだなということ。そしてそれは、ENJOY KYOTOを作るうえで流れている自分の方向性にも通じる点でもあるとぼくは思っています。
ぼくが紗季さんを、紗季さんがKiiaを、Kiiaがぼくをパチリ!