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ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

ある寒い冬の夜の、ある犬の死について。

ある一匹の犬が死んだ、という知らせを受け取った。もうずいぶんの老犬で、ある程度その犬の死は予見されていたことではあった。それにぼくはその犬に特別に思い入れがあったわけでもなく、そもそもたぶん、一遍か二遍かそこらしか会ったこともなかったように思う。ただ、その犬を飼っていた人をよく知っていて、それから、その人がその犬のことをとても大切に大切に、それこそ家族のように思っていたことも良く知っていた。たとえばその人は、その犬の名前を「さん付け」で呼んでいて、それは傍から見ていて、まるで寒い冬の一画にかたどられた、生まれたての陽だまりのような、柔らかくやさしい思いで接していることは明らかだった。

ぼくも猫を飼っているが、どちらかというと猫ってやつは個人主義的というか、あんまり積極的にわれわれの生活にコミットしようとはしないし、そのせいかぼくのほうでも彼にそんなに深くは立ち入らないというか「ちょっと折り入って話があるんだけどさ」みたいな感じでコンコンと話し込むようなことはあまりない。「まあアイツのことだから2,3日家を空けたって大丈夫さ」なんて調子で窓を開けて風通しよくしておいてあとはごはんと水さえ多めに置いておけばなんとなかる、みたいな感じでサッサと旅行なんかにも出かけちゃうんだけど、その人は、まさか犬っかわいがりとは言わないんだろうけど、ほとんど旅行にも行かず、家を長く空けることもなくずっと、ずっと、犬のそばにいることを自分の生活の基本にしているようなところがあった。

それでときどき、その人は、いつかはやってくるその日のことをポロッと呟くことがたまにあって、そのときの、その人の顔に浮かぶ表情に、なんというか、まるでこころやさしいおばあちゃんが、たとえば自分の孫が重い病気かなにかを患ってしまって、それでもしも、もしも替わってやれるもんなら、この自分の、このしょうもない命を引き替えに差し出してやるんだけどなあとでも言いたげな、そんなやさしくも複雑な雰囲気を漂わせていたことだった。

もちろん、キセルがやさしい声で歌うように、この犬の死が新聞に載ることはないだろう。世間では国会周辺のデモとか政治家のスキャンダルとかいろんなニュースを騒がしくがなりたてているけれど、でも本当に大切なニュースはこんな風にほとんどの人に知られることなく、か細くも小さな声で語られる。ぼくはやはり、そういう小さな声を聞き洩らさないようにしようと、そういう声をきちんと聴き分けられる耳を持ち続けようと、あらためて誓うのだった。それが、その犬が残してくれた教訓だとでもいうように。