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ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

ボブ・ジェームスと虫たちのジャムセッションin 東福寺

10年ぶりに再会した友人とともに、京阪東福寺の駅からのゆるやかな坂道を歩き、山門をくぐる。夕暮れの境内では、まるで波のように迫ってくる青々としたもみじの葉が、秋になって紅く燃えるのを待っているような、なにか秘めた思いを隠しているような、そんな佇まいでぼくらを迎えていました。会場である「方丈」に着き、くつを脱ぐ。用意されたお茶席でお抹茶とお菓子をいただき、枯山水庭園である方丈南庭のへりに設けられた特別招待席に着くころには視界全体が蒼色の薄暮に包まれ、白い敷石とそびえたつ黒い巨石、白い壁と黒い松のコントラストが、すでに幻想的な雰囲気を醸し出していました。

ステージにひときわ明るいライトが灯され、ボブ・ジェームスが小さな歩幅でゆっくりと登場し、客席にペコリとおじぎをすると、おもむろに席に着き一曲目の演奏を始める。アップテンポかつ流麗なピアノのメロディが、敷き詰められた白い石のようにひとつひとつ音の粒となって、夜の寺院の庭に静かに降り注いでいく。

と、ここで奇跡が起こります。演奏が始まる前はまったく聞こえていなかった鈴虫かこおろぎか、ともあれ秋の虫の音が、コンサートが始まった途端あちこちからいっせいに聞こえ始めたのです。さらにコンサート中盤からは夏の名残を惜しむように、ツクツクボウシまでが参加してきて、さながらジャムセッションを楽しむように、ときにはフレーズを追いかけ、ときにはアドリブをかぶせるように、それぞれの音楽を奏でていました。

それはジャズミュージックを通じて、人間と自然と宇宙が一体になるような、そんな瞬間でした。「神様がそばにいるような」とはまさにこんなときのことを言うのかなという気がしました。ボブ・ジェームス氏自身、震災復興のための岩手でのジャズイベントに参加したり、なにより自身がアメリカの自宅の庭に日本庭園を造ってしまうほどの親日家でもあることから(「枯山水」という曲がありこの日も演奏していました。ツクツクボウシが鳴きだしたのはまさにこの曲の途中から!)、やはりそこにはなにか運命のような、震災のような大災害の前にあるいは死という巨大な闇に対し、ちっぽけなわれわれはどのように立ち向かい、それを受け入れ、ともに生きるのか?という太古の昔から数えきれない人々が問うてきた根源的なクエスチョンを、この禅の思想が現されたお庭でのコンサートで、あらためて問うているような、そんな気がしたコンサートでした。

ぼくは途中からステージにいるボブに目を向けるのをやめ、目を閉じて音の粒ひとつひとつをとらえようとしていました。それから眼前の風景を見つめていました。敷き詰められた白い石とそびえたつ黒い巨石、さらにその奥には白い壁と黒い松が見えている。その壁と松の並木の向こうに本堂の巨大な(ほんとうに巨大な)屋根が迫るように見え、さらにその上に黒い夜空と雨を運んでくるはずだった白い雲がものすごいスピードで流れているのを、ずっとずっと見つめていました。山から吹き降りてくる秋めいた涼しい風の一陣が時おり庭をスーッと通り過ぎていく。そんな景色のなかに、ボブ・ジェームスが奏でる柔らかく優しく流麗なピアノの音粒と、虫たちの声がかぶさる。

ぼくはそんな空間のなかで、自分が生まれてくるずっとずっと前のことや、自分が死んでしまったずっとずっと後のことを考えていました。そうして突然、息子の顔がふっと浮かんできて泣きそうになっていました。まさに禅の「以心伝心」のような、なにか大切な真理がピアノの音粒といっしょにこころのなかに、ひとつひとつ染み込んでいくようなそんな体験でした。

ボブ・ジェームスは1時間の予定だったコンサートでアンコールに2回も応えてくれ、終演後のサインや写真撮影にも気軽に応じていました。なによりそのまますぐに東京へ移動するようなことを言っていたようにも聞きます。72歳のアメリカ人ピアニストは、その精力的な活動と音楽へのリスペクトを通して「ぼくには伝えたいことがあるんだ」という強い意思をあらわしていたように思いました。そうしてあの夜、まちがいなくあそこにいた人の多くに、それはたしかに手渡されたであろうと、ぼくは確信しています。