ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

衣替えと「街」の記憶


tofubeats(トーフビーツ)- 衣替え feat. BONNIE PINK - YouTube


きのうはちょうど衣替え。そして今日は、なんと「豆腐の日」でもあるのだそう。それでふとこの曲のことを思いだして、それでちょっと意味のない雑文を書いてみようと思い立ったのだった。ほとんど個人的なメモのようなもので、これまで更新頻度の少ないこのブログの中でも異質というか趣の異なる文章になっていると思うので、関心のない人にはなんの示唆も教訓もないものだということをあらかじめ断じていおきたい。

さて、ここからが本文。もうずいぶんむかしの話にはなるのだけれど、かつて学生服を着ていた頃は「衣替え」って、なんだかちょっとワクワクしたものだった。いままで半袖だったシャツが長袖に替わり、上からブレザーを着る。おろしたての冬服独特の匂いがして、服を着込んだ途端、より一層風が冷たく感じるようになる。もちろん、みんな冬服に着替えているので、登校時の朝の風景がほんの少し違って見えた。教室の空気もどこか新学期みたいなよそよそしい、気恥ずかしいような心持ちがした。この曲はそんな気持ちを思い起させてくれる。

そしてもっと個人的に言えば、ぼくはこの曲を聴くと、とある郊外の街を思い出す。時は1990年代半ばで、ぼくは20代の半ば。駅にはロータリーがあってそこを抜けると居酒屋や不動産屋や学習塾があって賑やかだ。ロータリーを抜けると大規模スーパーやOPAがあり、さらにそこからもう少し行くと大きな国道に出る。そのあたりまで来るとあたりにはマンションや住宅地がひろがり、国道沿いには自動車のリース会社や個人でやっている酒屋さんや理容店がならぶ。国道からさらに一本路地を入ると小規模農家の営む小さな田んぼや畑なんかがあって、駅前の喧騒が嘘のように静かで見上げると大きな月が見えたりもする。

当時ぼくはこの「街」にとある用事があって何度か通うことになった。そうして季節を問わず、昼夜を問わず、「街」のそこここを歩いた。でもぼくがこの曲を聴いて思い出すのは、きまって秋の夜なのである。春の朝でも、夏の夕暮れでもなく、それはぜったいに秋の夜なのだ。駅から目的地へと向かう道中、そのOPAのあたりを歩いている秋深い夜の風景。それも6時だか7時だか、それほど深い時間ではない。涼しくなり始めた風が心地よく、遠くの方で喧騒が微かに聴こえる静かで深い夜の中を、僕は一人で歩いている。そのときも、おろしたての長袖のシャツを着ていた。そのときの、すこし背筋がピンと伸びたような気持ち、何度か来てはいるがまだ勝手はよくはわかっていない「街」を、真新しい服を着てただ一人で歩いているときの、なにか新しいことが始まりそうな予感めいたふわふわした開放感が、この曲を聴いているうちに、まるでじかに触れられるかのようにありありと思い浮かぶのである。

この曲が発表されたのは2014年だから、実際にぼくが「街」を歩いていたのはそれよりずっと前である。つまり当然のこととして当時聞いていた思い出の曲というわけでもないし、時代背景もなにも、この曲と「街」の記憶には何の因果関係も見いだせない。それでもぼくはこの曲を聴くたびにその「街」の風景を、秋の夜の一人歩きのことを、それこそ風の匂いや、車の過ぎ去っていく音やクラクション、遠くで聞こえる若者たちの甲高い声や、闇に光る自動販売機の明かりやマンションの明かり、抱えた荷物が食い込む肩の痛みまで思い出すことになる。
新しい街、新しい服、新しい風。中身は何も変わっていないのに、自分がなにか違う別の人物へと生まれ変わっていくような痛快で心地よい感動が、暗闇を突如照らし出すまぶしい光のように、あざやかにぼくの心に浮かび上がるのだった。「衣替え」には、そんな魔法のような特殊効果があるように思う。流行のファッションとやらにはあまり関心はないのだけれど、今年はなにやら新しい冬服が、なんだかちょっと欲しくなってしまった。