ENJOY KYOTO Issue12 is out
ENJOY KYOTO Issue12が配布されています。今号は冨田工藝さんに取材させていただきました。仏像やお位牌を作られる仏師、位牌師というお仕事はあまりふだんお近づきになることはありませんが、いろいろ興味深いお話を伺えました。
いろんな話の中で、とりわけ感銘を受けたのは「愛着」ということについてでした。東日本大震災のあと冨田さんは被災地である気仙沼や石巻、京都や東京、ニューヨークなどいろんな街の人にお地蔵さんを彫ってもらい、それを東松島のお寺にお納めするというプロジェクトをボランティアで立ち上げます。そこで皆さんはじめて彫刻刀を持ったような方もいるのですが、顔を彫り進めるうちに、みんなに同じ彫りかたを教えているのにみんなお顔が違ってくる。睦海さんは「その違っているお顔は、あなた方が普段よく見ているお顔なんです」と言います。夫か妻か、親か子どもか、友人か恋人か、あるいは自分自身か。いずれにせよ、たぶんもっとも大事に思い、もっともよく見つめている顔が、そのお地蔵さんに投影されるのだというんです。そこに「愛着」があるのだと。
そして。そのわざわざ愛着のわいたお地蔵さんを手放してもらい、お寺に納めていただく。そこに意味があるのだそうです。愛着のないお地蔵さんはただの木の塊です。木の塊を納めてもそこにはなんの意味もありません。よく言う「気持ちを込める」というのは、この愛着のことで、おそらく運慶や快慶はじめすべての仏師さんも、この「愛着」のこもった仏様をお寺に納めているのだろうと推測されます。そして、すべての宗教心の出発点こそがこの「愛着」なんだと睦海さんは話してくれました。
ちょうどこの夏に叔父が亡くなったこともあって、死について、あるいは祈るということについてあらためて考えました。霊やあの世を信じないぼくであっても、ご遺体に、お骨に、遺影に、仏壇に。自然に手を合わせこうべを垂れていました。その理由が「愛着」という睦海さんの言葉で、ぜんぶ理解できたような気がしています。