ふつうをちょっとだけ特別にするということ
欽ちゃんこと萩本欽一さんが「若いころはいやな仕事しかまわってこない。でもそこにしかチャンスはない」って言ってて、ああこれはすごい言葉だなあと思ったことがありました。実際にそうですし。
それからその昔「コンビニでこんなサービスやってくれたらいいなと思えるアイデア」という課題に対し、みんなマドンナがコンビニでコンサートするとかコンビニが映画館になるなどアイデアの奇抜さを競い合ったが、糸井重里さんは「カップラーメンにお湯を入れてくれるサービスがあったらいいのにね・・・」と普通にひとこと言った、みたいな話があって、これもすごく好きなエピソードです(いまではふつうにどこでも見かけるサービスになりましたね)。
欽ちゃんが言う「誰にでもできることしか目の前になかったら、それを誰にもできないことにしてしまえばいい」。糸井さんが言う「アイデアというと奇抜なことを考えがちだけど、いちばん普通なこと、いちばん生活の中に近いことで、おもしろがれることが、いちばんいいアイデア」。このふたつは、自分もこの仕事を始めたころからずっと抱えてきた、自分なりのフィロソフィーと重なる部分がかなりありました。
振り返れば15年間ひとつの広告賞にも応募せず、ただただ目の前の仕事に一所懸命に打ち込んできて、たとえばこのちっぽけな名もない企業の、それもさして魅力のない商品を、どうにかしてみんなに愛されるものにしたい、というような気持ちで向き合って来ただけでした。そして「とにかくいちばん目の肥えた消費者であれ」というスタンスでした。それでよくクライアントともケンカしました。「売れなきゃ意味ないでしょう」「消費者はそこを見てませんよ」と。
そんな仕事の仕方は、ある人から見れば向上心も自己プロデュース能力もない、職人気質で古いタイプのクリエーターかもしれません。けれどいま、ENJOY KYOTOでやろうとしていることは、ほんとうにそういう自分の仕事の向き合い方が活きるかたちの仕事場です(ああ「仕事場」って言葉いいなあ)。
「世界遺産なんですスゴイでしょう?」というふうに紹介するんじゃなくて、そんな世界遺産近くに住んでる人がふつうに毎朝、箒がけしていたりして、京都の人にどんなふうに愛されているかを伝えるメディアでありたい。そして直接的なユーザーである外国人に、彼ら彼女らがいったい京都になにを求めているのか?どんな京都を知りたいのか?ではなく、彼ら彼女らにこんな京都を知ってほしいっていう、僕らの方から語りかけられるメディア、そして語り合えるメディアでありたいと思っています。
そんなわけで、来月は夏の終わりのオーストラリア・メルボルンに行ってきます。自分たちが「外国人観光客」として、街を歩き、人と話し、いろいろ困ってみようと思います。人の暮らしでの困りごとを考えるのは15年やってきたという自負がありますから、「外国人」としてどんどん困ってこようと思います。
京都を案内する英字フリーペーパーを発行してはいるけれど、ぼくは京都のしきたりを知り尽くした顔利きでもなければ、バイリンガルな国際人でもありません。でもふつうに生活するということではそれなりに達人ではあると思うんです。そしてそれこそはむしろ、世界共通でみんなが持ってる言語だと思うから、このメディアについて自信はなくはないんですよ。