ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

クリスマスの思い出

4歳半になる長男に昨夜クリスマスの絵本を読み聞かせ「サンタクロースは間違えて別のプレゼントを持ってこないかな?」とか「そもそも来てくれなかったらどうしよう」といった彼の不安を取り除くように話をしながらベッドに入りました。そして夜明け前、用意しておいたクリスマスプレゼントを彼ご指定のお気に入りのおもちゃ箱にこっそり仕込んで、このブログを書いています。そろそろこうした出来事の記憶が、それなりに残っていく年齢に差し掛かっている長男だから、いろいろと気を遣ったり、それから気を配ったりすることが多くなってきました。いい思い出を残してやりたい。なぜなら自分にとってそうであるように、思い出はその人固有の財産であると同時に、後の自分を形成していくうえでの重要なファクターになるからです。

ぼくが小学校の高学年や中学生、あるいは高校生のころというのは、良きにつけ悪しきにつけ、いわゆる「80年代」だったわけです。クリスマスの時期となると巨大予算を投じたハリウッドのクリスマス映画や子供向けお正月映画が封切られ、親や同級生たちと映画館に出かけていくのがとても楽しみでした。それからファーストフード店でハンバーガーを食べ(モスチキンなんてのはなかったし、そもそも当時「クリスマスにチキン」はKFCのキャンペーンという認識だった)、まだ四条河原町にあったソニープラザとかそういうところで友人やちょっとお気に入りの女の子へのプレゼントを買い、ホームパーティーみたいな感じで友だちの家に集まってビリージョエルやアバやホール&オーツなんかのベストヒットUSAなヒットソングを赤いSANYOのラジカセで聴くというのが、オーソドックスなクリスマスの過ごし方でした。
街はいまほどきらびやかなイルミネーションはなかったし、ケーキ屋さんもいまみたいにおしゃれなものはなく基本的に不二家とかだったけど(いまの人はあのバタークリームのおぞましい味を知らないんだろうな)、それはそれでとても幸福なイメージが残っています。

映像の「サンタクロース」は1985年のクリスマス映画。このシーナ・イーストンが歌う主題曲も当時それなりにヒットして、ぼくのなかではいまだにクリスマスソングでこれが一番好きです。ちなみに同時期には「グーニーズ」がクリスマス映画として日本で公開されてて、ぼくはそっちのほうを観に行った記憶があります。当時ぼくは14歳で中学2年生で何かを求めても手に入らず、何を求めているのかもよくわからず、そんな不安を紛らすように寒い冬の夜道を白い息と唾を吐きながら、ポケットに深く手を突っ込んでなにかを睨みつけるように歩いていました。「グーニーズ」という映画には楽しい映画でありつつ、そんな不安な少年期の思いが色濃く反映されていて、クリスマスの街並みの記憶とともに深く刻まれた映画です。楽しかったな。いい時代だったな。

たとえばクリスマスでも、お正月でも。ちいさな子どもと過ごすというのは、どこかで自分の子どものころを思い出し、人生を生き直していくようなところがあります。単純に当時と今を比較してどうとかいうことではなく、わが子を見る親の目線で、もういちど自分の子ども時代を見る、という感覚。それは自分の親たちが自らに注いでいた眼差しの優しさに気づき、理解することでもあるし、その瞬間に親が自分に憑依するというか、ほんとうに「世代を引き継ぐ」ということの意味を身体で理解するような瞬間があったりします。
それは親への感謝ということもありますし、もっと大げさに言えば、生命の意味というか森羅万象生きるものすべてが、生まれ、生き、死ぬを繰り返すことの意味を知るような瞬間でもあるわけです。何かへの祈りのような感じ。そういう普遍的な意味がニュアンスとして含まれているから、もしかしたらクリスマスは日本になじんだのかもしれないなあと思うのです。もし、クリスマスが家族との時間を思い出す良い機会になっているのならば「西洋宗教なのに節操なし」とか「ケーキ屋の陰謀だ!」とか堅いこといわず、楽しめばいいんじゃないかと思いますね。というわけで、みなさんHappy holidays!