ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

フリーペーパー「Enjoy Kyoto」について。

前にここで告知したとおり、いま外国人観光客向けの観光案内フリーペーパーを作っています。このあたりでちょこっと進捗を報告しますと、あれからちょっとすごい人(言いたいけどまだ言えないなあ言ってもいいのかなあ)にロゴを提供いただいたり、創刊号で実物や実績がまだなんにもないにも関わらず、趣旨に賛同いただいていろんなところから広告や設置場所含めたサポートのお話があったりして、どちらかというと周りの方々のご協力のほうがなんとも華々しいスタートとまずはなっております。いえいえ、もちろん制作サイドも負けじとがんばっております。
で、発刊に向けての最初の思いは先日ブログで書いたとおり(外国人向けの京都案内フリーペーパーを発刊します - ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~)ですが、ひと月ほど経ってみて、実際にあちこちに取材をさせていただいたり、ウェブの企画を進めたり、それから次号の企画や今後の展開などをメンバーで話し合っているうちに、当初の僕自身の思いとはすこしずつ変わっていくことも出てきています。
でも、むしろそれはそれでいいというか、それがいい、とも思っています。はじめっから完全なかたちで完成品としてリリースするのではなく、自分たちなりの思いでまずはスタートを切ってみて何号か重ねていくなかで、たとえば京都を知り尽くしたご意見番はもちろんのこと、京都に住む外国人の人にも、それから実際の外国人観光客の方々やそれを迎える京都のお店やホテルや寺社仏閣の方々まで、いろんな人からご意見をいただきながら、かつそこの過程もオープンにしていきながら、関わる人みんなで作っていくような、そんな風にできたらいいなと当初から思っていたので。ドラマ「あまちゃん」の震災後の復興のシーンにも出てきてましたが「とにかく口より先に手を動かそう」ということです。
ただ、ぼく個人としては絶対に変えたくないというかブレさせたくないなという部分があります。それは、京都といえば日本の伝統とか和の洗練とかどうしてもそっち方面一辺倒になりがちなので、できればそこへの無自覚な傾倒は避けたいし、いい意味でのクリティカルなスタンスは維持していきたいなと思っています。
もちろん、たしかに外国人から見たらそういうエキゾチックジャパンな京都こそが魅力なんだろうというのは、じゅうじゅうわかってるんです。でもそういう定型的な発信の中には自らも気づかないうちにすでにお客さん向けの興業みたいになってしまってることって、それはやっぱりどうしたってあるんじゃないかと思うんです。だからそれは、やっぱりそういうのはできるだけしたくないなあということなんですね。いくら外国人の方がお好きだからといってもですよ、ニンジャもサムライも実際にはいないわけですからねえ。

誤解してほしくないんですけど、もちろん寺社仏閣や座禅、能とか狂言とかいわゆる「ザ・日本」だったり「ザ・京都」とかそういうのを否定してるわけでも対立しようっていうわけでもないんです。むしろ素晴らしいと思うし、誇らしいとも思っています。せっかく異国から来たのだからできればそういう「ザ・日本」的なものを見てもらいたいし、体験して帰ってほしいよねと、そりゃ僕も京都人の端くれとして思うんです。思うんですけど、その反面どこかで面映ゆいというか、後ろめたさのようなものもあって。
だって、ぼくをはじめ京都人自身がふだんそれほど数多く体験してないことを「これが京都です」って外国人に薦めるのはどうなのかなあということがまずあります。正直じゃないし、誠実じゃないんじゃないかということです。だから取り上げるにしても、その取り上げ方には独自の視点が必要になってくるだろうということですね。一例で言えば伝統工芸だったら伝統技術そのものを紹介するというよりは、むしろ伝統を引き継いでる職人さんはいまなにを感じているのかとかそういうことですね。こうした伝統がいまの人々の暮らしにどのようにリアルに浸透しているのか、いま何が起きていてこれからどこへ向かおうとしているのかとか、そっちの話をしたいなあということ。それに前提としてまずぼくら自身が謙虚に伝統産業や伝統文化のことをきちんと知るところから始めないと、やっぱりウソになっちゃうと思うんですよね。血肉になってない知識を辞書を引くように調べて書いてもなあという。それだけはやっちゃダメだろうと。文物として情報として処理しちゃうことになってしまったら意味がない。それならもっと専門的にご存じの方がそれこそたくさんいらっしゃるわけですから、その方々にお願いしたほうがはるかにちゃんとしたモノになるはずです。でもそうなるとそれは本当にぼくらがやるべき媒体なのか?と思うし、そこはきちんと考えないといけないなーといつも考えています。だから対立していこうというわけではなく、むしろそこへ切り込んでいくならこちら側がまずきちんと挑まないとかえって失礼だということです。

それと、これがいちばん大きいんですけど、やっぱりたった1回きりの観光旅行で来ただけでは実際に日本文化や京都文化を理解して帰るというのは難しいわけです。なので、たとえば観光で来た外国人の方が京都に友人を作ったり、Facebookでつながったり、帰国後も定期的にネット通販で京都のお店のモノを直接買うことになったり、とにかくもうすこし具体的な接点をもつきっかけを生むことで「京都にもう一回来よう!」「○○さんに会いに行こう」みたいな明確な動機づけをしてリピートにつながらないかなあと。なんとなくそのほうが京都を深く理解し、文物ではなく、身体的に京都を知ることができるんじゃないかと思うのです。もちろん観光ビジネス支援という視点から見ても、おそらくはそっちのほうが潤うわけですよね。だから僕としては、断然そっちでやってみたい。
そして将来的には(ちょっとこれは言い過ぎだろうと思うけど)そういうことを通じてぼくはあらためて京都人自身が京都の独自性や伝統文化についても、ちゃんと学ぼうっていうきっかけになるんじゃないかと思ってるんです。それはまあやはり自戒を込めてです。でもそれは一足飛びには難しいことです。
むしろいまできることは、率直にいまの「リアルな京都」を外国人に知ってもらうことで、逆に一部西洋化してしまった生活様式のなかにこそ、こっそりと(しかし、たくましく)息づいてる京都の生活文化や独自性が(外国人の目を通すことによって)きっと見いだせるだろうという確信があるし、逆にそれを見つめることで普遍性というか、本当の意味で受け継いでいくべき京都人のアイデンティティが見つかるような気がしているんです。そしてそれは、7年後のオリンピックのときに、もうすこしフランクに外国人の観光客と交流できる環境への下地づくりのひとつになるかもしれない(いやあまたでかいこと言っちゃったなあ!)と。でもまあ、ようやくブログの趣旨である「まえがき」らしいことが書けたので、思いきって言っちゃいました。とはいえネット界隈をにぎわす「有言即実行即撤退」の某氏のようにならないよう、まずは「謙虚に、誠実に、そして継続的に」をモットーにがんばります。