ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

映画評「昼下がり、ローマの恋」

昼下がり、ローマの恋 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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ひさしぶりに映画評でも書いてみようかと思い立ち、筆を執る。とは言わないな、キーを打つ(これじゃ情緒もくそもないな、しかし)。
そういえば、かつてあるサイトがあって(いまもあるんかな?)、そこでいまや飛ぶ鳥を落とす勢いで大活躍の写真家・濱田英明さんが関わっていて、そのつながりで彼に頼まれて、わりと長文の本気の映画評を書いていました。あれってもう6,7年前なんかな?いやはや懐かしい想い出であります。


さて先日CSで「昼下がり、ローマの恋」という映画を観ました。この映画は「イタリア的、恋愛マニュアル」「モニカ・ベルッチの恋愛マニュアル」に続く、いわゆる「恋愛マニュアルシリーズ」の第三作目。このシリーズは、基本的に3編から4編の短編によるオムニバス形式で展開し、劇中にさりげなくそれぞれ別の作品の登場人物がちらっと重なって登場するなどの遊びが仕掛けられてはいますが、基本的に物語は独立したお話としてまとめられています。また今作にはモニカベルッチをはじめ何人かの役者さんが、前作がとは違う物語の違う役柄として引き続き登場したりしているのも面白いです。

今作は「青年の恋」「中年の恋」「熟年の恋」の3編から構成されていますが、最後に登場する「熟年の恋」にはロバート・デ・ニーロ(イタリア系であるとはいえ、デ・ニーロが全編イタリア語で出演してるのはなかなか新鮮!)とモニカ・ベルッチが共演していて、いわゆる宣伝的にはこの作品が目玉になるんだろうと思いますが、ぼくの感想としてはこの作品がなんとなくいちばん凡庸な感じがしました。モニカ・ベルッチは相変わらず非の打ちどころがないくらい美しいけれど。

また「青年の恋」は、あれこれって前作に似たような話なかったっけ?とは思うものの、オープニングにふさわしいというか、若さゆえの命を燃やすような切実な恋が描かれていて、ぼくのような年齢の人間から見れば眩ゆいというか、夏の田舎の風景とも相まって遠い日の記憶を呼び覚ますようなノスタルジックな印象を持つ佳作だと思います。

さて、じつはぼくがこのオムニバス作品でいちばん気に入っているのが、2番目に配置されている「中年の恋」なんです。これはその他の2作品にくらべるとずいぶんコミカルというか、恋愛映画というよりはコメディ映画のような雰囲気を醸しています。

あらすじは、こう。妻と娘がいる中年テレビキャスター・ファビオはある日ふとしたきっかけから不倫をしてしまう。しかもお相手が警察内部では有名な女性ストーカーだった。ファビオは彼女との関係を断とうとしますが、彼女は不倫のシーンをビデオカメラで撮影していて、会ってくれなければこれをインターネットで世界中にばらまくと脅迫します。その後もしつこく彼女につきまとわれ、やがて彼は家族や職業をも失っていく。そうした中年男性の悲哀をコミカルなタッチで描いていて、いわゆるロマンチックな恋愛映画を期待している方(とくに女性)にとってはあまりお好みのタイプの作品ではないかもしれません。

それでもこの映画をぼくが気に入っているのは、なんといってもラストなんです。こっからはネタバレになるので、これから観ようとする人は、ここで閉じて鑑賞後に読んでいただきたいです。







では、いよいよそのラストの場面を語りますね。

不倫騒動とストーカー騒ぎで、家族も職も失ってアフリカ特派員として飛ばされることになったファビオは、失意のなか空港へ向かおうとしています。そこへ一本の電話がかかってくる。電話の相手はストーカー女性が収監されている精神科の医療施設のドクターで「彼女があなたにどうしても渡したいものがあると言っている」と告げられます。彼が仕方なく施設に向かうと、そこにはまるで憑き物が堕ちたように慎ましやかな雰囲気を漂わせた、例のストーカーの女性がいます。彼女は謝罪しながら自室のカギをファビオに渡し、例の不倫シーンを収めたDVDのありかを伝えます。そのときの彼女を見つめるファビオのやさしい眼差しの中に、なんとなく人生をうまく渡れない者同士が慰めや切なさを共有するような、心の交感のようなものを感じました。もしかしたら、もっと違う状況で出会っていたら、われわれはお互いを支え合いながらうまくやっていけたかもしれない。じつは神様が描いていた本来のシナリオは(つまりわれわれの人生は)そういう風にあるべきだったのかしれない。そんな可能性に思いを馳せるような表情を残して、彼は施設を後にします。

身勝手な彼自身の不倫によって引き起こされてしまった自業自得であるとはいえ、ファビオの危機にあってすぐさま家を出て行ってしまった妻と娘の薄情さとくらべ、ラストのストーカー女の慈愛のこもった微笑みはとても対比的に描かれているように思いました。彼は(いささか歪んではいたけども)純粋な愛を向けられたことで自らが愛するもの(家族と仕事)を失い、そのことでこれまで愛していたものがじつは自分を愛してはいなかったのだということを知らされることになるというお話です。人生はかくのごとく皮肉であり悲劇的でもある、がゆえに喜劇である。なんともイタリアらしいというか、オペラ・ブッファのような作品だなあと思いました。