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ゴジマエ~後日読み返してもらいたいささやかなまえがき~

1971年生まれ。京都府出身・在住。コピーライター・プランナー。約15年間、大阪の広告制作会社勤務ののち2012年7月からフリーランスに。キャッチコピー一発から広告全体のプランニング・進行管理、企業の販促企画(企画書作成)まで、会社案内や学校案内・フリーペーパーなどの取材からライティングまで、幅広くやってます。 お仕事の依頼などはfuwa1q71@gmail.comまで。 

二番目にしたかったこと

先日、同じく京都でフリーランスのライターをされている小春さんこと江角悠子さんがブログ(ライター小春の京都暮らし「どうやったらライターになれますか?」に対する私なりの答え)ということでいろいろ書かれていて、その中でぼくのこともちょろっと紹介していただいたので、ご返句じゃないけども、さらっと自分なりに書いてみようと思います。

そもそもぼくがコピーライターになったきっかけは「ぜひライターになりたい」という希望からではなく、もとはといえば映画の世界を夢見ていたものの、あえなく挫折してそれでやむなく職業としてのライターになったということがはじまりだったということは前にも書きました。また、その最初にして唯一勤めた広告制作会社の社長がコピーライターで、その社長から「日本語なんてそれこそ中学生だろうが主婦だろうが誰でも書けるんだから、そんなものでお金をもらうためには、すなわちお金を払う価値のある日本語を書く必要がある」というある種反語的なアドバイスをもらったんですけど、そのアドバイスが僕自身の考え方と言うかスタンスに合っていたので、すくなくともその人とその会社を信頼できると思ったのを覚えています。これがだいたい15年くらい前。ぼくは当時26とか27とかそんくらいでした。

という前提をもとに、先の「どうすればライターになれるか?」という問いをもう一度じぶんなりに見つめてみるんですけど、そこでふと思うことは、こういう「どうやったら的問いをする人」はそもそもライターにはあまり向いていないだろうなということと、こうゆう人はちょっとまあいわゆる「就職」ということに考えが行き過ぎているんだろうなと思うのですね。「仕事」=「就職」ではないだろうとぼくは考えています。いまではよく言われるようになりましたが、ぼく自身が高校生のころ(25年位前ですね)は先生にも友人にも理解されなかった。だから久しぶりに高校の友人とかに会うと「きっとおまえはモンゴルとかそういうところに放浪の旅に出るんだろうと思ってた」なーんて言われたりします。話を戻すと、要するに仕事というのは、まず職能が先にあってそれを買ってもらうということ。だから「能」はともかく、買ってもらうべきものがないと始まらない。ライターならまずなにか書く。それに尽きると思います。そしてそれはあなたが買ってほしいものか?ということを問うことだと思います。

それで、もうこれは「仕事論」みたいなことになっちゃうのかもしれないですけど、たとえばライターに限らず仕事というのはもちろんお金を得るためにするものですが、稼ぐことだけが目的なのかというとやっぱり必ずしもそれだけではないと思うんです。これは「人生お金じゃない」とかいういわゆるキレイごとを言っているのではありません。たとえば、ある分野があってそれを一応自分の「職業」と周囲に言えて周囲もそれを認めるというくらいになるには、当然それなりにスキルが必要になりますが、天才的な職能を持った人でない限り、それなりに熟達するにはやはり時間というものがどうしてもかかります。ということはそれなりに時間をかけてその仕事に向き合うことができないと「これがオレの仕事だぜ」というところまではなかなかたどり着けないわけなんです。ある程度スキルを磨くことに時間をかけることができないと、その仕事で評価されるようになる前に続かなくて辞めてしまう可能性が高くなるということです。しかもそれは決してその人がダメだからということでもなくて、実際のところ人間イヤなことキライなことは続かんもんよね、という非常にシンプルな結論にいたるとぼくは考えるんです。つまりすこしずつ仕事に携わっていくなかである程度その仕事に対して「向いてるなオレ」とか「これ好きかも」という前向きな感情がなければ続かないんですね。続かなきゃ熟達しない。熟達しなきゃ認められない。認められなきゃ食えない。食えなきゃ仕事と呼べない。こういうことだと思っています。

こういうのってノウハウ本とか成功例なんかでは語れないと思っていて、それぜんぶが過程なんです。ぼくなんか中学生くらいから、人生ずっと過渡期でいるような気でいます。だから人生に成功とかないと思っています。つまり失敗もない。もうあるがまま。生きたままが人生。だからなるべく気持ちのいいところで生きていきたい。そうなると、ただ食うための「職」さがしをしなくちゃならないような切羽詰った状況に追い込まれちゃう前にですね、まあそれこそ学生のそれも高校生とかのうちに、ボランティアでもアルバイトでもいいですし、ひとり旅とかツーリングでもなんでもいいんですけど、まず「あ、これ楽しいじゃん」と思うことはとりあえずやってみることが、いい仕事をする人になるための準備としていちばん必要なことではないかと思うのですね。「映画つくる!」とか「チャリでびわ湖一周!」とか、そういうプロジェクトをもう勝手に自分一人で立ち上げちゃう。そういう経験をなるべくたくさんすることかなあと思います。ひとりで家で本読むの好きな人は「図書館の本棚一列を今年中に制覇と」とかでもいいんです。人とかかわることや外に出ることが目的ではなく。自分が前のめりになれることをただダラーっとやるんじゃなくて「プロジェクト化」してしまうっていうのがいいんじゃないかなと。それはいわゆる「自分探し」とかそうゆう文脈ではなく、です。

あと「目的を持たない」というものけっこう大事です。「がんばらない」と言い換えてもいいかも。要するに「いずれ職業に役立つかも」とか「こっち方面がいまアツイらしいよ!」など、そういう「ための」思考ではなくて、たとえばみうらじゅんさんが仏像やいやげものを訪ねてくみたいに、自分なりに引力を感じた方にとりあえず行って自分で見てくるっていうのが大事かなと思うんです。それは感覚的な「好きキライ」を見分けることだと思うんですね。ただ反面そのためにはいろんな好きキライを見てサンプルを持ってなくちゃいけない。とはいえキライなものは積極的に見たくないから、じゃあとりあえずまずは好きなものから見ていく。そうしたら自然にその反対方面はああこれ好きくないんだよなってわかってくると思うんです。
それって、つまりは「自分に対するハードルをすこし下げてやる」ということでもあると思います。下げ過ぎてもダメなんでしょうけど、日本人の場合往々にしてハードルを高めに設定しがちなので、低めでちょうどいいんじゃないかな。「楽しいことに厳しく」っていうハードルなら、たぶん多くの人がやってみようと思うんじゃないかな。

で、それはいま思うに「マッチング」というやつなんですね。だからぼくは「就職」というのは先のような経緯を経てきた人が「ああ自分のスキルを活かせる(もしくは好きを活かせる)場所がこの会社にはあるかな」と自分自身が認めたときにはじめて行うものであって、いまは順序が逆なのかなーとおもっているんです。だから「マッチング」といってもいわゆるリクルート系の就職ナビ的な発想ではなくてね。もっとなんというか感覚的なマッチングです。体験的というか。まあ「お仕事サンプル集」ですね。

そこで、ぼくがずっと前から考えていたことがじつはあって、それは「二番目にしたかったこと」という視点です。これはもうかれこれ5年くらい考えてきた。要するにぼく自身がまさにそうなんですけど、はじめになにかやりたいことや憧れの世界みたいのがあって、とりあえずそれに向かってとくに計画も地図もなく好きだからワーってやっちゃう。ところがひととおりやってみて、どっかで「あ、オレこれ才能ないんだ」ってことがちょっとずつわかってきます。もちろん続けていれば夢はかなう、っていうのもあるにはあります。ありますけど、でも人にはそれぞれ事情があって、お金とかね、家庭環境とかでね、まあどうしても好きなことをやって生きていけるための「制限時間」というものがどうしてもあるわけです。カラータイマーがピコピコなって、レフェリーがロスタイムあと何分とか言い始める。そのときに、こうただひたすら絶望するんじゃなくて、ああここにこんな風にしてうまく転身してった人がいるよ、っていう。映画監督にはなれなかったけど自分で脚本書いてたから文章は描けるのでその技術でコピーライターになってそれなりに家庭もって楽しく暮らしましたとさ、みたいなですね。そういう「幸福な失敗例」というか「前向きな失敗例」があると、わりといいんじゃないかなと思うんです。とくに若い人なんかにはね。

テレビとかだと、イチローとかジョブズとかそういう人の成功事例というかドキュメンタリーがあって「うわあ!さすがだなあ!参考になるなあ!」とか、まあ見てる時は思うんですよ。もちろんコンテンツとしてもそのほうが見ごたえがあるし、提供する側もどうしたってやっぱりそういう番組の作り方になっていきますよね。ただ、実際に生活の中で参考にできるかっていうと、じつはあんまできないんですよね。イチローなんてそもそも小学生のころから毎日自分であんなに練習してたわけで、もうその時点で負けじゃないですか。いまさら小学校に戻って野球の練習はじめるわけにはいかないんだから。

だからぼくは、特別な人の成功秘話より、たとえば「商店街の魚屋のオッチャンがじつはむかし歌手を目指していてジャズクラブで2,3年歌ってたんですよ、ナットキングコールがオハコでね、まあ昔の話ですよ」みたいな話の方が好きだし、がぜん面白いと思っているんです。それに、いまはソーシャルの時代で一般の個人の人のライフログというか、ひとりの市民の生きた足跡みたいなものへの関心が高まっているようにも思うんです。 だからぼくはちょっとそんな「愛すべき失敗例」を集めた本だとか、ウェブコンテンツとか、そういうのができたらなあと漠然とですけどずっと考えてきました。基本は人へのインタビューブックです。その企画おもしろそう!いっしょにやってもいいよ!っていう奇特な人が、もしももしもいたら、よかったら連絡くださいねーなんて、うーんそんなの需要ないか。