はたして外国人の方はENJOY KYOTOを持ってサンガの試合を見に来てくれたのか?
いよいよ運命の10月30日。今日は以前にも書いていたとおり、ENJOY KYOTOを西京極スタジアムに持って来た外国人の方限定で、京都サンガF.C.の試合を500円で観られる日。来てくれるかなあ?ゼロだったらどうしよう?まさか一人も来ないなんってことはないだろう、とかいろいろソワソワしながら西京極スタジアムへ行って来ました。
天気も朝から爽やかな秋晴れで、昼間はあったかかったこともあってか、お客さんはいっぱい。ジャージを着込んだサポーターだけでなく、家族連れやカップルの姿も多く見られました。あと岡山のサポーターがけっこう多く感じましたね。とりあえずゲートをくぐると「ENJOY FOOTBALL」なんて書いたノボリもあって、偶然ではあるんだけどなんだか縁起がいい気がして、ズンズン早足でスタジアム入場口のほうへと向かいます。
進んでいくとチケットセンターや屋台などがひしめくゾーンが見えて来ます。オランダやトルコの屋台もあってなんとなくフードも国際色豊か。「ENJOY KYOTO屋台デー」とか仕掛けて、各国料理の屋台を集めるなんてのもいいかもなあ。
続いて見えて来たのがサンガのチームバス。熱狂的なサポーターはここで選手たちの会場入りを待ち受け、バスを降りた選手に対し大きな声援で出迎えたり、スタジアムを後にする選手を見送ったりするのだそうです。
それからこの日はハロウィンということもあってキャンディープレゼントとかフェイスペインティングなど、キッズ向けのイベントなんかもやってました。今回ENJOY KYOTOで外国人観光客とスポーツを組み合わせる動機のひとつとして京都は子どもと大人がワーッと遊べる観光地が少ないというのがあったのですが、そういう意味ではこうした家族レジャーとしてのスポーツ観戦というのもいいと思いますよね。
いよいよスタジアムの中へ。まず最初は正面スタンドの自由席へ。ちらほらと外国人のグループを見かけたのでカタコトの英語でインタビュー開始。最初のグループは留学生だそうで、いちばん手前のメガネの男性は一年前にシカゴから京都に来たらしく、サッカーの試合は初めて観に来たということでした。なんでも彼は野球が大好きだそうで、カブスのファンだと。ちょうどワールドシリーズを戦っている最中だけど日本では観られないから、昨夜は日本シリーズを観ていたと言ってました。「カワサキはどうか?」と聞くと「ああ、彼は大好きだよ」と笑っていました。来週は「京都ハンナリーズの試合を見にいくんだ」とENJOY KYOTOのハンナリーズのページを見ながら教えてくれました。
次に声をかけたのはフィンランドからのツーリスト。女性のほうはすでに5回目の日本旅行ということもあって日本語が少し話せたので、ちょっと日本語でも会話しました。2人はたぶんだけど恋人だと思うけど、ぼくの英語がうまく伝わらなくて自信はない。日本語で「トモダチではない」と言ってたので、たぶんそうなんだろう。まあいいや。ともかく彼女たちは1ヶ月近く日本にいるらしいので、明後日から配布が始まるENJOY KYOTOの最新号も、またどこかで手に取ってくれるといいなと思いました。
もう一人もフィンランドから来た女性で、彼女は宇治の抹茶の会社で働いていると言っていました。会社の名前を教えてくれたのだけど、北欧訛りの英語で発語された日本語の企業名というのはなかなかに難易度が高くて、全く聞き取れなかったです。「モロゾフ」みたいに聞こえたけどどこなんだろう?「I don’t know it」というと彼女は「抹茶の会社は宇治にはたくさんあるからね」みたいなことを言って笑っていました。とリあえず彼女とは英語でやりとりしたのですが、たった一人で来ていたので「キミはサッカーが好きなの?」と尋ねると「フィンランドではアイスホッケーが好き」と目を輝かせて答えてくれたので、たぶんスポーツが好きなんだろうと思いました。たぶんね。
彼女たちはたまたまスタンドで出会った人たちで、ENJOY KYOTOを持って来たというわけではないのですが、みんなの様子を見ているとやっぱり周囲のサポーターの真似をして、一緒にチャントを叫んだり(もちろん日本語で)、手を叩いたり、手を前に伸ばしてエールを送ったりしていました。それはじつに楽しそうで、言葉の通じない異国のロックコンサートでファンの挙動を真似しながら頑張って溶け込み、一緒にこの雰囲気を楽しもうという気持ちがひしひしと伝わってきました。そしてそれは、観ていてとてもすがすがしい光景でした。やっぱりスポーツには言語や文化を超えて通じ合うものがあるんだなあと感じたし、今回のスポーツ特集号はやってよかったなあと、間違ってなかったんだと確信できました。
さて、とりあえず役目を果たしたので、後半からは特別にご用意いただいたスペシャルに良い席に移動。中央の最前列で観戦しました。西京極はもともとサッカー専用スタジアムではないため、ピッチと客席が遠いのですが、それでもやはりここまで降りてくると臨場感ありますね。戦況はもっと上の席から見たほうがわかりやすいですし、個人的にはそのあたりの席のほうが好きなのですが、それでもたまにはこういう臨場感ある席もいいですね。
肝心の試合は前半早々にENJOY KYOTOでインタビューしたエスクデロ選手のヘディングゴールで先制。さらに後半から入った矢島選手が得点し、2-0で昇格争いを展開しているファジアーノ岡山に見事勝ちました。同じくENJOY KYOTOで取材した髙橋祐治選手も先発フル出場を果たし、岡山の攻撃を見事に失点ゼロにおさえてくれました。これで岡山と勝ち点で並んだわけですからこの勝利は大きいです。それにせっかくのENJOY KYOTOデーだったわけですから、スタジアムに足を運んでくれた外国人のみんなに、攻撃的なサッカーで勝利する強い京都サンガF.C.の勇姿を見せることができてホントよかったなあと思いました。
というわけで結果発表です。今日ではなく16日のゲームに間違って来てしまったお客さんも含めて、最終的には総勢20組30名ほどの外国人ツーリストの方々がENJOY KYOTOを持ってスタジアムへ足を運んでくれたようです(サンガさんには16日に間違えて来た人にも500円での入場を認めるという寛大な対応をしていただいたのだそうです。ありがとうございます)。いやあ、これだけ限られた対象範囲と告知規模にしてはまずまず成功だったと言っていいのではないかなと個人的には思っています。告知媒体はENJOY KYOTOのみですし、それだって割引告知を見逃す人もいるでしょうし。広報の方にも試合後にご挨拶させていただいたときに、「ぜひまたもっとしっかりと時間とって、いろいろやりたいです!」と言っていただけたので、今後もまた何かこうした、紙面とリアルをつなぐ企画を仕掛けていきたいと思っています。興味ある方は、ぜひともプロフ欄のgmailまでご連絡ください。
10月30日はENJOY KYOTOを持って西京極スタジアムへサンガを応援しに行こう。
ENJOY KYOTO Issue18はスポーツ特集号でした。といっても、この号の配布は9月1日から10月31日までとなっていて、そろそろ次号の配布が始まる頃なのですが、じゃあなんでいまごろになってこのエントリーを書くのかというと、じつは今回「外国人のお客様に限り」、ENJOY KYOTOIssue18を持って来れば京都サンガF.C.の試合を500円で観戦できる、という特別企画を試みているからなのです。
で、その試合がいよいよ明後日30日に迫っているので、もしたまたまこれを見た日本語がわかる在住外国人の方や、そのご友人、あるいはいま観光で京都に来ている外国人ツーリストを知っているよ、という人にぜひとも読んでもらえたらなと思って、それでまあ書きました。1冊で4人まで500円になります。
ものは試しにと、こないだ近所にあるゲストハウスに飛び込みで3軒くらい回ってみたらかなりウェルカムで好印象でした。しかもそのうちの一軒のオーナーからは「じつは先日ニュージーランドのお客様からラグビーを観れる場所はないかと聞かれました。そういうニーズってあるんですね」という話を聞き、ああやっぱり自分は間違ってなかったなと感じたんです。
サンガの広報の方にこないだお会いした時にも、じつはすでに日にちを間違えてENJOY KYOTOを持って来場されている外国からのお客さんがちらほらいらっしゃるという話をお聞きしました。ちょっと入稿前に色々ありまして、結果的に「割引対象試合」の表記が小さくなってしまって混乱をきたしたことは反省点ですが、それでもサンガの方もせっかくだからと割引で入場していただく対応をしていただいているようで、とにかくちゃんとリアクションがあったことがとても嬉しいです。前にも書きましたが、物書きとして一番嬉しいのは、何かの賞を取るとか何千リツイートとかされてバズることなんかよりも、記事を見た人が実際にその場所へ行ったり、商品を買ったり、具体的なアクションにつながったことだからです。
というわけで、30日の試合はぜひ外国人ツーリストはもちろん京都在住の外国人の方々も含めた、多国籍な応援を西京極スタジアムで繰り広げて、京都サンガF.C.の勝利を後押ししてほしいし、そういう風景が当日見られるといいなあと思うのです。たぶんそんな取り組みをしてるクラブはまだないと思うんです。そして紙面にはチャントもいくつか載っけています。じつは取材中にスタジアムで外国人観光客のグループが、見よう見まねでサポーターたちと一緒にチャントをしたり手を振り上げたりして、まるでライブを楽しむみたいに一緒に応援するの光景をたまたま見かけて、ああチャント一例とかあったらいいよなと思ったんです。30日はスタジアムのあちらこちらでこうなるといいなあ、という思いを込めて。
そもそも今回スポーツと観光をテーマに特集をしたのは、スポーツと観光の組み合わせというのはこれまであまりなかったと気づいたから。もともとスポーツ・ツーリズムなる考え方はあったのですが、それより先にまずそもそも京都には知的好奇心を刺激する観光地や文化体験をする場所はたくさんあっても、子どもや家族連れが「わーっ」と我を忘れて遊べる観光スポットが少ないので、ならばスポーツ観戦はいいんじゃないかと考えたのがキッカケでした。
それとかつて自分がローマに旅行に行った時にサッカーのラツィオ戦をスタディオ・オリンピコで観て、それまであまり興味のなかったラツィオの戦績が帰国後も気になるようになった、という個人的体験もありました。
今回取材をしていろんな人に話を聞いてみて、スポーツと観光の相性の良さをすごく感じました。サッカーでも、メジャーリーグでも、その街の個性がスタジアムの設計や選手の育成方法、チームカラーなんかに出ますよね?日本でも地域ごとに背景が異なり、子どもたちの育成から地域交流、スポーツ文化にいたるまで、スポーツは地域の特色が強く出るものなんだなあとあらためて感じました。それにスタジアムではその街に住んでいる人の「素」の姿も見れますしね。
京都サンガF.C.の取材では城陽市のサンガタウンにお邪魔して、練習後にエスクデロ選手と高橋祐治選手に話を伺いました。スペイン生まれで日本育ち、アルゼンチンでの生活も経験して、いまは日本国籍を取得したエスクデロ選手は「アルゼンチンでは生まれた瞬間に自分の応援するクラブチームが決まるんだ。それが2部リーグだろうが5部リーグだろうが関係ない。一生そのクラブをサポートする。そして大人になって自己紹介の時には必ず自分の名前と、応援するクラブの名前をまず明かすんだ」とか言うんです。ああ、それすごくいいなあ!と思うんですよね。こういうエピソードってなかなか聞けないし、そういう地元サポーターの強い思いがクラブを育てるんだなあともあらためて感じました。そしていまみたいな時こそ、彼のようなタフな選手が日本代表にいてほしいなあと思うんです。
このときのインタビューの様子をサンガのYouTubeチャンネルで一部公開していただいてます。ウンウン相槌打ってるのが僕ですね(笑)。
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いっぽうの髙橋祐治選手からは地元出身でジュニアからの生え抜き選手ならではのサンガ愛を感じました。彼が子供の頃に憧れていたサンガは天皇杯で優勝していた強豪チームだったので、こんな位置にいるチームではないし、必ずこのチームでJ1に昇格したいと決意を語ってくれました。重い怪我から復帰したばかりの髙橋選手の活躍が昇格争いの鍵を握っていると思います。
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そして広報の方から「Purple with purpose」というフレーズをすごく気に入ってもらいました。「紫(=サンガである理由)というぼくが書いたキャッチコピーを翻訳チームが英語のフレーズにしてくれたのでした。チームの出発点であるパープルサンガとしての原点をあらためて見つめ直すきっかけになったと言っていただきました。
少し前に取材いただいた、エスクデロ選手と高橋選手の記事を掲載していただいています!京都の外国人旅行者向けマガジン「ENJOY KYOTO」。もちろん全部English。。😊😅👍グッズショップにも少し置いていますので、ぜひご覧ください!https://t.co/Ye8nMFz1tY pic.twitter.com/ZHCJqzDtJo
— 京都サンガF.C. (@sangafc) 2016年9月21日
京都ハンナリーズの取材ではちょうどシーズンオフであったため選手の取材がギリギリまでできなかったこと、また9月から新たに「Bリーグ」として開幕することで準備に大忙しだったこともあり、じっくりと取材する時間はあまりありませんでした。しかしそんな中でもアメリカ出身で長身のケヴィン・コッツァー選手にお話を伺うことができました(本当に大きかった!)。
またこんな取り組みを教えてくれました。外国人選手と日本人選手を混成した3人ずつのチームに別れて京都市内の観光名所に出かけて行き、互いに英語や日本語で会話をしながら食事をしたり写真を撮ったり散歩する時間を作るのだそうです。これには試合や練習だけでなく普段からのコミュニケーションを密にする狙いがあるそうで、その成果か取材時には皆さん本当に仲がよさそうでとてもいい雰囲気でした。
今回の外国人向けフリーペーパー、ENJOYKYOTOはコッツァー選手と小島選手が表紙を飾っております! #Bリーグ #ハンナリーズ #ENJOYKYOTO pic.twitter.com/Lct9jHeDCe
— 京都ハンナリーズ (@kyotohannaryz) 2016年9月8日
また広報の方が「熱狂的なブースターはアウェイでもツアーを組んで全試合応援しにいく人もいます。もちろん応援がメインだけど、その土地その土地の名物を食べたり地酒を飲んだり、観光も兼ねて転戦するんですよ」と教えてくれました。こういう話からもやっぱり、スポーツと観光って結びつきやすいんだなと思いましたね。
京都フローラは世界で唯一の女子プロ野球リーグとしての誇りを持っていらっしゃいました。しかもチームだけでなく、女子プロ野球リーグ機構が四条烏丸にあるんです。これ、けっこう知られてないんじゃないかな。
ぼくはわかさスタジアムにも、それから個人的にオススメな伏見桃山球場にも応援に行ったのですが、映画「プリティリーグ」の切なくも懸命に戦う女子選手の姿と重なって見えました。記事にはこう書いたんです。
ここにはマドンナもジーナ・デイビスもトム・ハンクスもいない。ベーブ・ルースもハンク・アーロンもケン・グリフィ-Jrもイチローもだ。しかし、スタジアムで白球を追いかける彼女たちの姿は、ハリウッド映画の名だたるスターにも、あるいは男子の英雄的名選手たちにも決して見劣りすることのない情熱と勇気と美しさがある。そしてもうひとつ。そこではベースボールスタジアムでしか味わえない懐かしくも優しい気持ちに出会えるだろう。ホットドッグとビール。青々とした芝生と黒い土のコントラスト。秋の気配を漂わせ始めた風の香り。そして球場に響き渡るボールを叩くバットの音。野球ファンでなくても、秋のスタジアムにはなにか特別な郷愁を感じさせるものがある。だから、完成されたスポーツエンターテインメントを楽しむというよりは、地域のクラブチームがより高いステージに向かって試合に励むのを、近所の人たちみんなで応援するような感覚が近いのかもしれない。京都フローラは、ぜひともそんな気持ちで応援してほしいチームなのだ
ちょっと気持ちが入りすぎてるキライはあるけど、とにかくぼくにはそう感じたし、紹介した3つの中で世界的に見ればじつは野球がもっともローカルなスポーツなので、プレイそのものや技術論なんかよりも、とにかくスタジアムに行ってみたいと思ってもらうのが先決だなと感じたのでした。
それから上田滋夢さんには社会学者としてみたスポーツ・ツーリズムの話を伺いました。たとえばとくに印象に残ったのは、スポーツツーリズムなんていう話をする前に、そもそも少年少女のスポーツ合宿地として考えた場合に、午前中で練習が終わった後、午後から社会見学として市内の寺社仏閣や史跡を巡ることができるので、教育的な面から見ても「京都とスポーツと観光」はとっても相性がいいんだ、っていう話でした。これはなるほどと思いましたね。ぼくは高校時代ラグビー部の合宿で菅平とかに行きましたけど、練習する以外に何にもない環境でしたから。これは目から鱗な視点でした。
最後にKBS京都とメディアコラボした取材ではアナウンサーの海平和さんとテレビ制作局長の南哲夫さんにインタビュー。ぼくは京スポの視聴者でもあったのでスタジオで海平さんにお会いしたときはちょっと感動でした。
その海平さんは京都マラソンを取り上げ「街を走ってみてこれまでになかった視点を得られた」といい、「マラソンを走ることで街のストーリーを感じることができた」と語っていただきました。あと学生スポーツや地域スポーツの身近な話題を取り上げ、地元のスポーツ選手をいち早く紹介することで、その後で選手がオリンピックやプロの世界で活躍するスター選手になったときに、地元で見てくれていた方々が「ああ、あんときのあの子がこんなに偉くなって」と、おらが街の代表として応援し続けられることを地域メディアのひとつの役割としてあげておられました。
完成が楽しみです♡
— 海平 和(KBSアナウンサー☆なごみん) (@nagomimi753) 2016年8月12日
もっとできることがありそう!
ワクワクさせて頂きました☆ https://t.co/xnwEA9inEZ
ともあれ、今回のスポーツ特集号はとにかく自分にとっても学びの多い、印象深い一冊になりました。そして「Join Our Home Team」という表紙のキャッチコピーに込めた思い。それは、世界中に京都のスポーツチームのファンができると嬉しいし、スポーツ観戦や同じチームを応援することを通じて、世界中の人たちと「チームKYOTO」になれたら、ということでした。30日の西京極スタジアムのスタンドに、いろんな国籍の人が集まってくれてるといいんだけどなあ。
「ENJOY KYOTO バックナンバー展」のお知らせ
「ENJOY KYOTO バックナンバー展」
●会期:10月25日(火)〜11月25日(金)
●場所:祇園花見小路 洋菓子「洋菓子ぎをんさかい gion sakai」 1階奥のギャラリー
●時間:11:00〜19:00
●入場無料
ENJOY KYOTOは、この11月で創刊からまる3年、いよいよ4年目を迎えることになりました。「インバウンド」という言葉がまだ巷ではあまり知られていなかったころに始まったぼくらの活動も、志を同じくする友人たちとの出会いや、サポートしてくださる先輩方の尽力によって、少しずつ、それでいて確かな歩みを進めることができました。
そこで、いつもお世話になっている祇園花見小路の洋菓子店・カフェ「ぎをんさかい」さんにご協力いただき、お店奥にあるギャラリーにて、ささやかではありますが「ENJOY KYOTO バックナンバー展」を開催させていただくことになりました。これまでのENJOY KYOTO Issue18までの中から、特にトラディショナルなテーマを扱った号の表紙を集めて展示させていただいております。
同時に部数は少ないのですが、表紙を展示していない号も含めた過去のバックナンバーを設置しています。あらためてこの機会に、手にとっていただければと思います。考えてみれば創刊号は竹中健司さんとカンバラクニエさんのコラボ「いまうきよえ」を表紙に竹笹堂を特集。以後、「楽京」と言う漢字ロゴを描いていただいた書家の川尾朋子さん、京提灯の小嶋商店、ジェフ・バーグランドさん、ポールとクリスが京都で始めたクラフトビールブランド京都醸造、京都サンガF.C.や京都ハンナリーズまで非常に多様な方々を取材してきました。お忙しい中、くるりの岸田さん、佐藤さん、ファンファンさん、それからつじあやのさんにも取材させていただきました。
そんなことを思い返しながら設営をやっているあいだ、こうやって表紙を眺めているうち、京都のコンテンツの量はもちろん、バラエティの豊かさ、奥行きの深さを、あらためて感じていました。そして、まだまだ足りていないなあと自分の至らなさを思いつつ、だからこそ京都という街の時間の大きさ、スケールの大きさを思い知るのでした。
空間的には狭くてコンパクトな街ですが、積み重ねてきた時間という軸のほうに、ものすごく豊かな財産が蓄えられているし、それは遺産ではなくその資産を生かしていまの京都の文化を生み出せる土壌を育んでいると思います。だから、海外の人たちに紹介したい人は、まだまだいます。そして、やりたいことは、ぜんぜんできていません。でも、これはぼくの口癖ですが、やるべき課題があるというのは、きっと良いことなんだと思うのです。
と、いうわけで。「バックナンバー展」と銘打ってはいますが、これは決して「回顧展」ではありません。展示の「展」は展望の「展」でもあるのです。だから、これまで以上の、これからを。過去を振り返るのではなく、ぼくたち自身もこの展示を通じて、前を向くためのヒントを見つけたいと思っています。在廊の予定はありませんが、近くへお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。
夏のこと
ずいぶんと放ったらかしにしてたこのブログ、そのまま眠らせておこうかとも思ったのですが、なんとなく更新してみます。夏の間のことをちょろっとまとめておこうみたいなわりに軽めのエントリーです。といっても気がつくと7,000字超えてるんですが、書き手としてはこういういま流行ってる感じのサラっとしたフォーマットってのは案外ラクなんです。文章だけでグワッと書くほうが文字量少なくてもよっぽどエネルギー必要でっす。とかムダ口叩いてないで進めます。
7月末は母親の古希祝いでうちの家族四人と母親と兄貴と弟夫婦というわりと大所帯で白浜に旅行に行ってきました。古希祝いの記念になればと「メッセージ花火」なるものを頼んで打ち上げてもらったり、朝の浜辺を散歩したりつかの間の休暇という感じでした。海に行くのは本当に久しぶりだったので、まあ半分は子供のお守りになるのですが、それでもすごく楽しかったです。海というのはなんかやっぱり人を振り返らせるというか、頭を一回リセットするのにいいみたいですね。
それから下鴨神社で足つけの神事にも行きました。いずれも仕事がブワッーと忙しい時期だったのですが、とりあえずバタバタ準備して、サクッと時間あけて、だーっと言って帰ってくるみたいな、いま振り返っても夏の夕立の後というか狐の嫁入りの直後みたいな、幻見てたみたいな気分ですが。あ、そういえば下鴨神社で偶然にENJOY KYOTOの題字も書いていただいている書家の川尾朋子さんにお会いしたのもなんだか幻みたいに感じるなあ。
あと夏休み前に長男が学校から持って帰ってきた朝顔のタネを蒔いたら見事にポロポロ咲いたのが8月の初め。それからひと月を経て、花もそろそろ終わりかなーと思った9月の初めに、この育てた花から落ちた種がさらに新しい芽を出していて驚きました。ベランダでも立派に自生するもんだなあと感心するのでした。
この夏はENJOY KYOTOのIssue18がスポーツ特集号だったことと、リオ・オリンピック/パラリンピックが重なって、よくスポーツを見ました。取材を兼ねて京都サンガFCの試合や京都フローラの試合も観戦したし、テレビでも少しいつもとは違う観点でオリンピックを見ていました。
これはENJOY KYOTOの取材でKBS京都の「京スポ」という番組に携わっているアナウンサーの海平和さんとプロデューサーの南哲也さんに「スポーツとローカルメディアの関係性」についてお話を伺った時のことなんですけど、その中で「やはり地元選手をいち早く注目して取り上げることに、ひとつの意義があると思っています」とおっしゃっていました。たしかに陸上の桐生祥秀選手やスケートの本田姉妹はじめ、いまや全国ネットのマスコミに注目され世界で戦う選手の多くがいち早く「京スポ」で取り上げられてきました。なかには「京スポで子ども時代にたまたま見た選手が大人になって全国で活躍する姿を見てどこか自分たちの子どもが頑張っているような気持ちになる」というような声もあると聞きました。
そういう意味で今回はパラリンピックの一ノ瀬メイ選手に注目して応援していました。パラリンピックはさすがに放送枠も少なく、ほとんどその姿をテレビで生で見る機会はなかったのですが、ちょうど仕事が落ち着く22:00以降に競技があったことからYahoo!の速報で毎競技チェックしていました。一ノ瀬選手のは京都市出身でちょうどこの夏前に僕は初めて彼女のことをまさに「京スポ」で知り、その後パラリンピック開幕直前に全国ネットの「スッキリ!」で取り上げられているのを見ました。つまりですね、自分が取材で海平さんに伺ったお話と同じ経験することになったわけです。彼女はちょうど今夜、最後の種目に挑戦します。記事では思うように実力を発揮しきれていないようなインタビューがあったので、最後はぜひ思い切り実力を出し切って、どうかパラリンピックを楽しんでほしいです。
さて、プライベートではお盆休みがほぼ1日半しかなかったので、奥さんの実家へ行って子どもたちと遊んだくらいでした。僕は京都生まれ京都育ちなので「帰省」というものをしたことがなく、結婚して初めて「田舎」ができました。田舎に帰るというのは特に子どもができると楽しいものです。カエルやザリガニを捕まえたり、トンボやバッタを追いかけたり、車や自転車を気にすることなく思い切り走り、山の土や川の水に触れる。虫の声を聴きながら眠る。こうした体験は子どもにとってはとても大事なことだなあとあらためて思います。京都市内だと公園でさえボールも自転車も禁止されてて、なかなかに遠慮がちになりますからね。
それから長男の描いた絵が入選して、京都市立芸術大学ギャラリーに張り出されていたので見に行ってきました。同じ小学校からは全学年で見ても2、3人しか選ばれていないし、市内全域の小学校から応募があってそ作品点数と規模からみてかなり厳選された入選なのだろうと思います。彼は小さい頃から放っておくといつまででも一人で絵を描いている子だったので、なんというか好きなことで褒められるという小さな成功体験をしておくことはこれまた大事だなと思いました。
あと今年は地域の役員に当たっていたので地蔵盆がわりの夏祭りの企画運営を手伝いました。マンションの自治会というのはなかなか難しいところがあって、子供のいらっしゃらない世帯はけっこうそういうことに否定的で「子供がいる家庭だけでやればいい」と愛想なしの世帯がけっこうあるんです。それならと、今年は和菓子作り体験や抹茶体験コーナーなどを企画し、大人の方だけでも参加できるよう告知もしました。結果的に年配者を中心とした大人のみの参加者は微増という感じで決して大成功とは言えませんが、参加世帯は大幅に増えたし、大人だけでも参加できるという印象は少なくとも伝わったように感じました。こうした自分の住む地域の身近な自治体運営に関わることから地域づくりって始まるんだと感じました。地域活性などと掛け声だけ大きくてもビジネスでやっていることと現実の地域の課題はまだまだ乖離があるし、そこを埋める努力ってやはり最後はそこに住んでる人間なんだと、あらためて身をもって学びました。
それから先日、伏見桃山球場で行われた京都フローラの試合に行ってきました。これは記事にも書いたのですが、じつは女子のプロ野球リーグというのは世界でいま日本にしかありません。しかもプロ野球リーグ機構は京都に本部があるのです。これも記事に書いたのですが映画で「プリティ・リーグ(原題:A League of Their Own)」というのがありました。あの映画は第二次大戦中にメジャーリーガーが徴兵されていなくなってしまったので、プロ野球を盛り上げるために創設された女子野球リーグの奮闘を描いた物語で実話です。ただし、そのアメリカの女子プロ野球リーグはわずか8年で終了。ですから女子プロ野球リーグというのは日本でしか見られないのです。
京都フローラの試合のある日はJR桃山駅からシャトルバスが出ているので便利です。歩くと坂道を15分ほどかかるのでで行くなら絶対バスです。ガイドのお姉さんも美人さんでした。
シャトルバスを降りて球場の方へと歩いていくと桃山城が見えてくる。ここにはむかしキャッスルランドという遊園地があって宇治の中高生のデートスポットでもあったのだ。懐かしい。あと大昔にはこの天守閣から若かりし日の真田広之さんが飛び降りるといういかにも昭和チックで奇想天外なショーなんかもやっていた。さすがにいまはそこそこにご高齢なうえ、ハリウッドでもご活躍なので、まずやってはくれないだろうけども。
などと、本当にどうでもいいことを思い出しながらボヤボヤ歩いていくと球場に到着。ユニフォームなどのグッズやビールなどを売っている。もちろんビールを買って球場入り。野球と芝生の匂いとビール。球場に響く乾いた打球音。たまらない。
今回ENJOY KYOTOには割引チケットが付いています。京都サンガF.C.と京都ハンナリーズは外国人限定(観光客でも在住者でもOK)なのですが、京都フローラさんは日本人でも大丈夫です。窓口で紙面のこの部分を見せると500円割引で見ることができます。もちろん僕も割引してもらいましたよっと。お世話になったHさんによると「けっこうENJOY KYOTOを持ってきたくれているお客さんいますよ」とのことで、ありがたいことです!
今回、どうしても伏見桃山球場で見たかったのはこの景色があるから。どうですか。スタジアムと城。何ですかこのインパクト!このミスマッチがなんともたまらない。今は天守閣には入れないのですができればビール飲みながら天守閣から試合を眺めて、秀吉気分で天下取った気持ちになりたいものです。
フローラサイドの客席。取材でわかさスタジアムに行った時に見かけた応援団の方も当然のようにいらしてました。まあちょっと地元の高校球児を応援するのと差して変わらない雰囲気というのはありますが、むしろそれが味。先に書いた「京スポ」の話を思い出していただければ、この地元感と身近さが良さだと感じてもらえるはず。むしろ男子のプロ野球が失ってしまったもの。野球の本場アメリカの地方のグラウンドへ少年野球の応援に出かける家族たちのような、野球という球技が持つ独特のノスタルジックな空気を感じることができるんです。
試合は残念ながら京都フローラが1-2で埼玉アストライアに敗れてしまいました。相手ピッチャーの磯崎ゆかり選手の投球、特にスローカーブがすごく良かったです。あと「美くしすぎる女子野球選手」としてマスコミでもおなじみの加藤優選手もハツラツとプレーしていました。埼玉アストライアもいいチームだと思います。写真は試合後に行われていた埼玉アストライアの勝利のダンス。女子プロ野球はこういったファンサービスも選手自らが積極的に行っているところが好感持てます。
帰りに京都フローラのキャラクター「フローラちゃん」の写真撮ってアピールがものすごかったんで半ば脅されながら撮りました。こ、こわい。あ、後ろにお世話になったHさんが写り込んでる(笑)。
で、そのまま帰っても良かったんですが天気もいいし、その日はめずらしく一人で身軽だったので「御陵さん」まで散歩してきました。
「御陵さん」と僕らが読んでた明治天皇陵はその名の通り明治天皇と皇后の墓があります。また近くには都を京に移し平安京を造営した桓武天皇の陵墓(諸説あるらしいです)や明治天皇の崩御に際して殉死した乃木希典を祀る乃木神社もあります。陸上部だった中学の頃はしょっちゅうここまで走りに来ては階段登りをして、上で休憩して帰るというのが定番の練習メニューでした。その時は景色ばかりに気を取られてて、すぐ後ろの陵墓のことはあまり気にしたことがありませんでした。でも今回あらためて足を運ぶとその広大な土地の大きさと陵墓らしい丘の傾斜、古代の方墳を思わせるお墓の風格などすごくいいところじゃないか!中学時代のワシはいったい何を見ていたんじゃあ!とひとり恥じたのでした。いやあ無知って恐ろしいもんですね。
それでも中学時代の僕にとっては天皇陵という文化財の価値よりももっと大事なものがあったんです。ここへ来てはともだちと、よくはわからない将来のことやら、女の子のことやら、イヤな先生のことやら、そういうことを日が暮れるまで話し合っていました。ほぼ30年ぶりに再びそこへ訪ねてみて、懐かしさとともに恥ずかしさがこみ上げてきました。そして同時に、まあなんとかかんとかやってこれたなあということも、少しは実感できました。
むかしハイヤングKYOTOというKBSラジオの深夜番組で島田紳助さんが語ってた「大谷高校時代によく●●山(失念。東山か比叡山か)に登って仲間たちと夜景を見ていた。そこで、いつかこの街の景色が小さく見えるくらいビッグになってやる!とみんなで誓った。高校卒業して漫才師になり、漫才ブームで人気が出て東京でレギュラーが増えた頃、京都に帰ってきて同じようにその山に登った。景色が小さく見えるかなと期待して。そうしたら宇治と城陽が開発されて、街が大きく見えたんや」という鉄板ネタがあったのを思い出しました。
そのまま緑の電車に乗って、宇治の実家に寄って「オカン飯」を久しぶりに食べる。ふと水屋に高校時代に使ってたマグカップが置かれているのに気づく。まだあんのかコレ。ったく30年近く前の代物ですぜ。物持ち良すぎ。というかいい加減捨てようよ。
最近はまとめて本を読んだ。くるりは20周年、音博が10回目ということで、ベスト盤は出るわ阪急でのスタンプラリーはあるわ立命館大学でLINE LIVEはあるわで、ものすごーく盛り上がっています。とくに岸田さんの活動をtwitterとかでウォッチしていても「たまには休んでくださいよ」と思うくらい精力的にハードスケジュールをこなされている。広島カープまで優勝する。えらいことです。で、「くるりのこと」では岸田さんの子供の頃についてのっけから「自分の思いついたことしかやりたくなかった」とか書いてあって、まったく同類の自分としては、膝は叩くわウンウンうなずくわで、とにかく共感できる話が多かったです。ファンならずとも必読の本です。
あとあずまんの本は「弱いつながり」が入門編としていい感じです。観光やってる人は絶対読んどくべきだと思いますね。「存在論的、郵便的」のほうは、こないだ京都造形芸術大学で東浩紀さんと浅田彰先生の講演聞いて再読したくなったので読みました。「構造と力」とか、デリダじゃデカルトじゃハイデガーじゃとかぶれてたなあとか恥ずかしい歴史も思い出しつつ。あとなにげに東さん同い年なんですよ。
それから小松左京さんの本は「シン・ゴジラ」見てよかった人はオススメです。「日本沈没」はかつて読んでた時はよくできたSF小説としての印象だったけど、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震を経験し、その映像や解説をつぶさに見てきた後で読むと、ドキュメンタリーとしか読めなかったです。40年以上前にこれを予見していたあたりは素直にすごいなあと思います。小松さんは京都大学イタリア文学専攻というキャリアは不思議な感じもしますが「ダンテか!」と思い当たってなるほどと思いました。他にも「地には平和を」や「果しなき流れの果に」は傑作なのでぜひ。
小松さんといえばご子息が某代理店にいらっしゃって何度か一緒にお仕事もさせていただいた。「プロモーション仕掛けて上手に金儲けしまっせ」みたいなことには向いてらっしゃらない感じでしたが、お父様譲りかとにかく博学で理系・文系・専門知識・雑学問わず、あらゆる知識をお持ちの方だったのが印象的でした。
とまあ、なんだかんだで忙しい夏でした。なんだか楽しそうじゃないかと思うかもだけど、逆に「これ以外仕事」だったんだぜ!というわけで、次回はENJOY KYOTOIssue18の中身について、ちょっと書いてみようと思います。では。
インフルエンザで倒れてた1週間のこと
おつかれさまです、インフルエンザでじつに1週間まるごと死んでおりました松島です。多方面にわたって多大かつ長期にわたるご迷惑をおかけいたしましたことを、ここで心よりお詫び申し上げたいと思います。で、せっかくなのでここに備忘録というか、今回の病状や経緯などを自分なりのメモとして置いておこうと思います。
まず14日の日曜夜から40度近い高熱ともうほんとに何も考えられなくなるくらい激しい頭痛にまる4日間襲われました。とくに高熱と頭痛のために頭がグルングルン回ってうなされ続けて眠れず(ずっと連絡しなきゃいけない人へのメールやプレゼンを控えていた仕事の企画書を追われながら妄想の中で書いている状態でした)、ほぼ24時間ベッドで横になっているにもかかわらず頭痛でのたうちまわって眠りに逃げることすら許されないというのは、なかなかの地獄でした。
またほとんど食べられないのでけっこう痩せましたし(うどんだけはすこしだけ食べてました。うどん最強!)、タミフルの副作用で吐くし(「タミフルが効かなくて」と「ポケベルが鳴らなくて」は似てるYoネ!とかそういうしょうもないギャグを言う機会もなく)、あらゆる関節は痛いし、喉も痛くて咳が出るいっぽうで声は出ない。見たことのないような大きな痰に血が混じって出てくるし、もとから副鼻腔炎なので鼻水は出っ放し。盛りの中学生かというくらいのハイペースでティシュが消費されていきました。とにかくもう下痢以外のすべての症状がいっぺんに来ている状況でした。ああ、これはふつうに年寄り死ぬな、と思いながらポカリでしのぐ日々でございました。
19日の金曜になってようやく熱が収まり始めたので、すこし楽にはなったのですが、激しい頭痛と咳は収まらず、眠れないのは相変わらずで、このしんどくて頭も痛くて眠りに逃げたいし、眠って体を回復させたいのに眠ることさえできない、というのは本当につらかったです。横になると咳が出るし鼻が苦しくなって頭もよけいに痛くなるので、夜中に何度も起き出しては約2時間ごとに深夜にリビングでダウンジャケット着たままたた上を向いて座っているというのは、ほんとうに絶望的というかもういっそ楽になりたいとさえちょっと真剣に思いましたね。結局まともな生活にもどったのがほんの昨日くらいからでした。その間にまず長男が倒れ、続いて奥さんにまで感染するというリアル野戦病院状態、しかもそんなウイルスまみれの家に年寄りを手伝いに来させるわけにもいかず、家族みんなに死相がでているなか、ひとりどこ吹く風で気丈にも忍たま乱太郎や仮面ライダーゴーストの元気な歌声を、インフル渦で沈む家庭に響かせ続けた3歳次男に、個人的には国民栄誉賞を差し上げたい気持ちでいまはいっぱいです。
最後に少しマジメな話をすると、今回はいろいろと考えました。簡単にいうとフリーランスのリスクマネジメントとかそういうありがちな話です。
今回ちょうどENJOY KYOTOの原稿訂正から最終チェックにかかるタイミングだったのですが、インフルはおおむね2,3日で熱が下がると一般的に言われているので、ぼくの思惑としては水曜日に回復できればなんとか間に合うという算段でした。とにかく月曜と火曜日は電話を取ることも、起き上がることすらできない状況だったので水曜が勝負だ、と。これが甘かった。
水曜日になっても状況はまったく改善せず、まだまともに頭を働かせて指示を出したり判断することができる状況ではなかった。そこではじめてヘルプをかけようと判断したのですが、逆にそれを伝える前に他のスタッフのほうから「替わります」との連絡が来たのでこれに助けられました。ひとつひとつを詳細に説明していくだけの余裕はまだなかったので、わかる範囲で人が直接入ってバックアップしてもらえるならと、もう本当に余裕がなかったので任せきりにすることにしました。これを本当はもうすこし早くすべきだったと反省しています。
楽観的な独断による甘い見通しというのがチームでの仕事では一番やってはいけないこと。そのことはかつてデザイン会社で役員をやってチームを率いてきた立場からよくわかっていたつもりだったのですが、独立して3年が経ち、ある意味個人で働くことに慣れてしまったからかすっかり忘れてしまっていました。それと、もともと「とにかく仕事を途中で放り出すことだけはしたくない」という個人的な性質も重なることで、悪意がなかったことが結果的にはより大きな迷惑をかけてしまう、というこれまたありがちな結果を引き起こすことになってしまいました。
しかもご迷惑はチームスタッフだけではなく、クライアントや納品先、プレゼン用の作業を控えていたパートナーなどにもかなり心配や実害あるご迷惑をかけてしまったのですが、ここで思うのは、皆さんが寛大に対応していただけたことが印象的でした。ぼくの担当する作業をすべて肩代わりしてくれたENJOY KYOTOチームスタッフみんなをはじめ、途中で仕事から離れてしまったにもかかわらず身体の心配をいただいた宝酒造のFさん、Deco Japanの菅井さん、豊島さん、それからふれあい館のDさん、またプレゼンを控えた状況で限られた対応しかできないことに理解を示し身体の心配までいただいた印刷会社のディレクターさんやウェブ制作会社の社長さんなどなど、今迄では考えられない寛大な対応に本当に助けられました。
先にも書いたようにかつて大阪のデザイン会社でチームを率いていたころは、けっこうもっと厳しかったというか、ちょっと別のものが対応しますと伝えるとあからさまな懸念を示され、なかには「それは困る!」と臆面もなく電話口で怒鳴る方までいました。まあ会社を担うチーフとしていまより直面していたプレッシャーそのものが大きかったのもあるにはあると思いますが、やはり時代が変わったんだなあという風にぼくには感じられました。
だからこそ、もっといろんなことを、いろんな人に委ねた方がいい。そうあらためて思いました。自分でできることはぜんぶ自分一人でやらなければとつい思いがちなのですが、ひとつのプロジェクトになるべくたくさんの「スペシャルサンクス」を書きこむ余地を与えた方がいい、そう思いました。実際、今回はあらためて自分の仕事というのは、ほんとうにたくさんのスペシャルサンクスでできているんだなあと実感する機会になりました。映画なんかと同じで、キャストやスタッフの少ないチームではどうしたってインディーズのこじんまりした映画しか作れません(それにはそれなりの良さももちろんあります)。いっぽうキャストやスタッフやその他名もなきエキストラ含めて、やたらたくさんの名前が連なっている映画はきまって大作です。たとえ主演・脚本・監督がすべて自分であるこのわが人生とやらであったとしても、それをより大きなプロジェクトにしたいのなら、やはりエンドロールにたくさんの人名が連なるようにしておいた方がいいということ。これが今回のインフルエンザ渦からぼくが学んだ教訓ですね。
失敗しよう。2016年、年初の宣言として
2016年が明けて元旦のうちに、ひそかに今年のぼくの目標は「失敗しよう」だと掲げました。というのも、なんとなく昨年は「どうすれば失敗なく上手くやれるか」ってことに頭が行き過ぎていたような気がしたからです。もちろん失敗なく上手くやれるかを考えてプロジェクトを進めることは、ぼくのようにそれなりにキャリアがあって責任もあって40歳もとうに過ぎた人間にとっては、ある程度は必要なことです。しかし、そのいっぽうでそれを意識しすぎるあまり保守的になり、新しいチャレンジや前例のないことに、無意識のうちに消極的になってしまう、ということもあると思うのです。
そうするとまったく同じことをラグビー選手の五郎丸さんが話している記事をたまたま見かけました。
それからほぼ日手帳の昨日のページには「もう毎日、毎秒、失敗を許すっていうことですよ。恐れるんじゃなくて。失敗というものと仲良くやっていくっていうことも必要ですね」という舞台演出家のデヴィッド・ルヴォーの言葉が記されていました。
GoogleのCMでは「初心者になろう」とわれわれに呼びかけています。
MicrosoftのCMでオシムは「恐れることを、恐れるな」とぼくたちを鼓舞しています。
イビチャ・オシム/Number/松井大輔【 Surface Pro 4 CM】「ある編集者の戦い」編/Microsoft
いま世の中ぜんたいが、そういう時期なのだ。
そう確信しました。毎日のようにいろんな人がネットやなんかで叩かれて吊し上げられて、メインストリームから退場させられていくのを日々見ていると、どうしても保守的になってしまう。まるでたったひとつの正解があるかのような議論が飛び交い、それに合わないモノは不正解として排除し認めない。その結果ありもしないたったひとつの「正解」だけを探そうと行動が消極的になる。こうしたことに、そろそろ多くの人が閉塞感を感じているのではないでしょうか。
ただそれもなんとなくですが、今年からは潮目が変わるようなそんな気がしています。根拠はなーんにもないのですが、先のいくつかの符牒がそれを示しているように思うのです。子育てをしていても、子どもは失敗を叱ると途端に消極的になります。大人だってきっとおんなじなんです。チャレンジした者しか失敗できないのだから、失敗はもっと認められていい。そう思います。
もちろん45歳になる年の初めに堂々と「失敗しよう」と宣言するというのはいささか勇気がいったのですが、ともかくいい歳した中年のおっさんが、恥も外聞もなく、新しいことを引き受けてチャレンジして失敗して恥をかくのは、それはそれでなかなか楽しいことなんじゃないかなと、いまのところそう思っています。逆に30代ぐらいの方がどこかそういう外聞なんかを気にするようなところ、あったかもしれない。もう40も半ばになると、どうカッコつけたってたいしてカッコよくはないのだから。なので、どこかで失敗してるぼくを見つけたら「ああ、がんばってるんだなあ」とあたたかい目で見守ってくださいませ。今年もよろしくです。
時代劇にまつわる随想
いま配布中のENJOY KYOTO Issue 13の巻頭特集は時代劇です。かつて京都が「映画の都」とか「日本のハリウッド」と呼ばれていた時代からはじまり、戦後GHQが発令した時代劇禁止令による時代劇暗黒の時代、その後に訪れた黒澤明「羅生門」や溝口健二「雨月物語」など京都の撮影所でつくられた映画が世界を席巻する時代を経て、昨今の没落へと至る経緯を駆け足で紹介しています。また「5万回斬られた男」として有名になり「ラストサムライ」でトム・クルーズとも共演された福本清三さんや、殺陣師の菅原俊夫さん、衣装の松田孝さん、美術監督の松宮敏之さんなどいま現役の職人たちへのインタビュー、そして最後には時代劇を世界へ発信する取組として「Kyoto Filmmakers Lab」や「京都ヒストリカ国際映画祭」までを網羅しています。
この記事を書くにあたり、ぼくとしてはインタビューによる当事者への取材以外にも、京都の時代劇のことをあらためて調べてみました。京都の映画や時代劇に関するさまざまな本を読んだり、関連する界隈を自分の足で歩いてみたり、京都太秦映画村の資料室(ここは過去の映画のスチールやポスター、ビデオなどが膨大にあって一日居ても飽きない!)へ行ったりしてるうち、自分の家系というか両親の生家があった場所が、いずれも時代劇黄金期の京都の映画と何かしらの縁があったんだなあとわかって驚きました。
日本初の映画スター・尾上松之助の墓は等持院にあり、それは現在、立命館大学のキャンパスの中にあります。クルマで立命館大学正門のゲートで警備員さんに「墓参りです」というとゲートを開けてくれてパスをくれる。そのままクルマでキャンパス内を奥まで走らせるとそこに「等持院墓地」があります。じつはうちの家の墓はその松之助の墓のすぐ脇にあって、小さいころから墓参りの時いつも通るたびに父が「これは有名な役者の墓なんやぞ」と言っていました。ぼくは子どものころはそんな古い役者のことなどよくわからないので「ふーん」としか思っていなかったのですが。ところがちょうどこの時代劇の仕事をしているさなか、叔父が亡くなり9月の納骨の際にひさしぶりにこの墓地にたまたま行く機会がありました。もしかしたらこのタイミングで叔父がぼくを連れてきたのかもしれません。ちなみに等持院境内には日本映画の父と呼ばれ尾上松之助を見出し多くの映画を作った日本で最初の映画監督・牧野省三の像も建てられています。
そしてうちの父の実家でありぼくの生家でもある二条駅付近もまた日本映画発祥の地として知られ、二条城の南西、現在の中京中学校の南東角には京都で最初に作られた映画撮影所「二条城撮影所」跡としての碑が建てられています。ここで牧野省三は尾上松之助とともに「忠臣蔵」を撮影したのですが、じつはこの1926年(大正15年/昭和元年)に撮影された映画のフィルムの完全版が最近発見され(尾上松之助の「忠臣蔵」、幻のフィルムを京都で発見:朝日新聞デジタル)、京都国際映画祭で上映されたのを母といっしょに見に行きました。これもまたタイミングというか「この機会にこれも観ておけ」と誰かに言われているかのような気がしました。
また、うちの母親は下鴨出身で子どもの頃よく下鴨神社の脇にあった下加茂撮影所を見に行ったのだそうです。その際、近所に住んでいた役者さんで大部屋俳優の草分けとして知られる名脇役の汐路章さんによく肩ぐるまして撮影を見せてもらったのだと言っていました。汐路章さんといえば今回のENJOY KYOTOの取材で斬られ役の福本清三さんからお話を伺ったときにも名前が出て「おまえー!そこのけー!わしが映らんやないかー!って、よう怒られました。怖い先輩でした」と仰っていました。ある世代の方には映画「蒲田行進曲」のヤスのモデルと言ったほうがわかりよいかもしれませんね。そんな強面の汐路章さんは近所ではやさしいおじさんだったようです。ただ母いわく「役づくりなのか、ときどき黙っていることがあって、そのときはやっぱりすごく怖かった」と言っていました。
そして、たまたま現在ぼくが住んでいる界隈も、どうやら牧野省三や尾上松之助が活躍した時代に映画に重要な土地だったとして多くの資料で目にすることができる場所でした。こうしてみると、かつて20年前に自分が映画を志して太秦の撮影所に出入りしてたことが、どうやら単なる偶然ではなかったのかもしれないと考えるようになりました。ぼくはおそらく運命の糸に導かれるようにして映画の世界へと引き込まれていったのだろうということです。結局のところぼくは映画人になるという夢はかなわなかったわけですけれど、こうしてずいぶん遠回りをしながらも時代劇や撮影所について書くことになるというのは、ほんとに数奇な運命を辿ってたどり着いた兄弟物語のような、なんとも不可思議なつながりを感じています。
ともあれ、このENJOY KYOTOの取材からはじまって、個人的な等持院墓地への墓参、それからENJOY KYOTO関連で「太秦江戸酒場 〜琳派の秋〜|UZUMASA EDO SAKABA」という太秦映画村で開催されたイベントや「京都ヒストリカ国際映画祭」への参加にいたるまで、夏の終わりから11月にかけて時代劇というものについてあらためて考える機会になりました。
お話を伺ったなかのひとり、美術監督である松宮敏之さんは「CGではなくセットで実際に作って撮影をすると、足元のぬかるみや風、本物の木の匂いを感じながら役者は演技をすることになる。それは確実に演技や絵に影響を与える」と言い、もっといえば「匂いも映るんだ」という話をされていました。かつて黒澤明は撮影前のセットに早くやってきて箪笥のなかに衣服が入っていないのを見つけ、着物を入れろと怒鳴ったというエピソードがありますが、そういう「見えないモノだって映る」という映画的真理のようなものは、おそらくまだここには残っているんだと思います。そしてぼくはそれを支持しています。
また床山の大村弘二さんはリアリズムと映画的リアリズムについて語ります。「いまはリアルにということでメイクなんかもナチュラルにしていこうといわれます。でもじつは髷を結うということはポニーテールをイメージするとわかるのですが、髪は上へと引っ張られるんです。すると目は自然に少し吊り上がってきます。つまり目張りを入れたアイメイクというのは古めかしい大仰なメイクなんかじゃなくて、むしろリアルな表現だったんですよ」と言います。
あと、映画監督の兼崎涼介さんが言っていた「間口の広い表現」ということについてもここしばらく考えています。なんとなくクリエイターは、いつの間にかマーケッターやコンサルの下請けになってしまったようなところがありました。でもそれもう古くないですか?という空気が、いまちょっとずつ流れて来ている気がするんです。ターゲットと表現技法と流通経路をマーケが決めてそれに沿ってモノづくりやってるうちに、いつしかコンテンツは間口の狭いものばかりになって、ニッチといえば聞こえはいいけど、そもそもの市場が狭いうえなかなか大きく育っていかないので、ほとんどのケースでクリエイターは食べていけなくなっている。というか、もうそろそろユーザーのほうもそういうマーケティングデータや市場ニーズとやらに基づいてかっちりコントロールされた、こじんまりとしたコンテンツに飽きてきたよね?というのをなんとなく感じているのです。今年の音博のときに八代亜紀さんがバーッと出てきて「雨の慕情」をあの振付をしながら会場の全員で歌ったときの一体感のような、みんなが知ってて瞬時に共有できる超ポピュラーコンテンツをそろそろ見たいよね、という期待感みたいなものがあるんじゃないかなと思うんですよね。
だからこそ、たとえば。京都の撮影所の職人さんをフル動員して、美術から大道具からものすごい本気でお金かけて、CG一切使わずオールオープンセットで、本格時代劇を作ったら、むしろしっかりと世界で勝負できる一大スペクタクルエンターテインメント映画が作れるんじゃないかなあ、と思うんです。なんというかぼくはいま、「じつはコンピューターでこんなことまでできるんです」じゃなくて、たとえば「人の力だけで巨大ピラミッドをつくる」みたいな、そういうものづくりのほうが逆に求められていて、観る人を驚かせたり感動させたりできるんじゃないかって、そんな風に思っているんです。